廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

ことばとその病理

『表現の科学と表現の経験』(『世界の散文』所収)

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これまでの分析と病理的な現象 189-193

話すこと:

・開かれた関係に入り込む、

・傷つきうる者となること

 

・幻聴(言語的幻覚hallucination verbal)の例

→ ノーマルな言葉も、「病的なヴァリエーション(変奏)」が可能

言葉(パロール)の中心に「錯誤=疎外(aliénation)」を可能にするものがある。

 

・心理学が「キネステジーの障害」と呼ぶものについて

心理学者の答え「他人との境界がない、能動と受動、自己と他人との区別を維持できない」=身体、他人との関係の障害と結び付いている。

→ 「だがその結びつきをどのように理解したらよいのか」(190)

 

「身体が思考を盗み取る」(190)

「他人にさらされている」(191)

・行為と知覚の関係。→ 本来はひとつだが、「反省」的思考には分かれてしかとらえられない。

・相手の人物そのものを目指す。

・私の言葉は、行為の器官であると同時に、感受性の器官でもある

いわゆる「言葉の同調」というもの。そのためパロールは、その尖端に眼をもっている(191)

・言説(discours)が私のうちで語られる、言説が私に尋問し、私が反響する(問いかける)、私を包む、私に住みつく(191)

・「もう一人の私自身」(192)

「我」は、みずからのうちにこうしたdépersonnalisation〔人格の喪失、離人〕の萌芽をもっているからこそ、パロールをもっている。

・私自身との関係や他人との関係の脈動(pulsation)である。

言語理解における「こだま」と「ゆがみ」

コメントより

・二つの言語:「あえて言えば」「二つの言語があると言ってみよう」

・「事後には」(après coup)。

メルロ=ポンティは別のところで「真理の遡行的運動」(ベルクソン)について語る。真理が真理であるためには、新しいものとしての意味が、いわば過去に遡って、あたかも初めからあったかのようになる。そのせいで、言語の創造性はいわば「忘れられて」しまう。<未来に向けて新しい意味を投げ出す>ことと<それをそれまでの世界に根付かせる遡行的運動>がカップルになって真理は真理になる。

 またフロイトは「事後的な効果」についても語っている。

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こだまとは、お互いを求め合うような精神的で切実な意味を持つもの」「どっちからのものかわからない」「相補的で相互的な依存関係」→ 繰り返し読むなかで積み重なっていくさま。同じものの反復ではなく、戻ってくるときには違うものが貼り付いている(ドゥルーズ『差異と反復』におけるニーチェ永劫回帰論の解釈)

「共通な意味の地盤にいると私に信じさせてくれた」(180)→これは前提されているわけではなく、読書行為そのものによってのみ確認される。しかも、そこで新たな意味ができることもあるから、共通な場はたえず作り直されている。

メルロ=ポンティの議論は、外国語のばあいはどうか。翻訳のプロセス。「地平の融合」(ガダマー)

 

  • 今日考えてみたい問題。

1)「同じ動作で、受け取りも与えもする」

2)「本は記号をその通常のいみから逸らせたたのであって、さまざまの記号は、私がいま追いつこうとしているまさにその別な意味に向かって、旋風(渦巻き)のように私を引きずっていく」(180):「自己と他者」

3)スタンダールの例。

「ひそかにゆがめられている」181

密使182

五〇年間のモノローグ

 

「表現の瞬間とは、関係が逆転し、本が読者を所有する瞬間なのだ」182

→ 「話された言葉」と「話す言葉」再説

 

スタンダールの言語が「道具」として獲得される。

「真理の体内化(incorporation)」(フーコー『主体の解釈学』)

 

パロールとそのこだまとの「共犯」(183)

 

対化(対になる)Paarung フッサールデカルト省察』第五一節のことば

語りつつある言語と語られた言語

メルロ=ポンティのテクストの特徴について

・螺旋状に進みながら、同じ問題を拡張したり、深めたりする

→ 

  メリット:たんなる論証ではなく、「体験」を同時に深めながら思考を深めることができる

 

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前回コメントメモ

・「記憶の再構成とは見かけの大きさが作られることと同じ?」

・「かけがいのなさ」と「くみつくしがたい」記憶とは

・私の記憶のまなざしとは?

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あらゆる細部が含まれる一瞬のようなイメージ

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書経験の現象学と想起の現象学。ストーリーとの関係。夢は「ことば」を介しているか。

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濾過作業としての記憶

 

・・けっして忘れられないもののfécondité(豊饒性、多産性)

 

 

  1. 176 以下。主要テーマ:「話された言葉」と「話している言葉」

 

1)p. 178の段落の後半が難しい。

・言語は自分の働きそのものを隠す

・「盲人と麻痺患者のカップル」

・声であると同時に「こだま」である。

 

2) 二つの言語

・事後的で、習得され、記号となってしまった言葉

・表現の瞬間に形成、私を記号から意味へと滑り行かせる

 

読書は「火」がつく

マッチと乾いた木の例:「いやおうなしに似たものの応答を引き出す似たものの呼びかけ」

火がもえさかる

3)「私は同じ動作で、受け取りもし、与えもする」(次回?)

何を受け取り、何を与えるのか。

スタンダールの例(

 

 

シモンドン翻訳 Simondon

解決の探究のための指導的概念──形態、情報、ポテンシャルおよび準安定状態

 

 人間諸科学と心理学の一般理論が存在していないので、反省的思考は可能な公理化の条件を探究することを促されている。この作業は、必然的に発明的な要素がくわわることをともなうもので、たんなる総合の帰結ではありえない。この作業のためには、これまで使われてきた主要な概念体系を発掘しなければならないが、最近のものを特権視する必要もない。一九世紀の初頭の化学理論の発見は二〇年来規定されてきた原子論的図式を取り上げ直し、重みのある分析として貢献することによって、それを豊かなものにした。

 したがって同じように、〈形相=形態=形式〉と〈質料=素材=内容〉という〈二元論(Dyade)〉的原理ないしは〈範型〉的原理を呼び起こしたうえで、最近の〈ゲシュタルト心理学〉の説明モデルとつき合わせ、さらには〈サイバネティクス〉や〈情報理論〉ともつき合わせることで、たとえばポテンシャルといった、物理科学から借用された概念にも依拠するところまで進むことができるだろう。私たちが示したいのは、人間諸科学あるいは少なくとも心理学の公理論的な素描が可能なのは、形態、情報、ポテンシャルという三つの概念を同時に理解しようとすることによってだということだ。ただしその場合、それらを繋げ、内的に組織するために、形態、情報、ポテンシャルが問題になるときに現れてくる特別なタイプの作用(opération)を定義することも必要である。すなわち変換器的作用(l’OPERATION TRANSDUCTIVE)という作用である。

 

transduction

 3  (1969, cit. 3 infra). Techn. Mode d'action d'un transducteur (1.). Par extension :

 3  Or, dans un transducteur parfait, aucune énergie n'est actualisée; aucune non plus n'est mise en réserve : le transducteur ne fait partie ni du domaine de l'énergie potentielle, ni du domaine de l'énergie actuelle : il est véritablement le médiateur entre ces deux domaines (…) C'est au cours de ce passage du potentiel à l'actuel qu'intervient l'information; l'information est condition d'actualisation.
Or, cette notion de transduction peut être généralisée. Présentée à l'état pur dans les transducteurs de différentes espèces, elle existe comme fonction régulatrice dans toutes les machines qui possèdent une certaine marge d'indétermination localisée dans leur fonctionnement. L'être humain, et le vivant plus généralement, sont essentiellement des transducteurs. Le vivant élémentaire, l'animal, est en lui-même un transducteur. 

Gilbert Simondon, Du mode d'existence des objets techniques, p. 143.

(Gramd Robertより)

変換器の作動様式。

「さて、完全な変換器においては、少しのエネルギーも現勢化されない。保存されるエネルギーもない。変換器は潜在的(ポテンシャル)エネルギーの領域の一部でも、現勢的なエネルギーの領域の一部でもない。それはまさにこれら二つの領域の中継者なのだ。そしてこの変換作用の概念は一般化できる。さまざまな種類の変換器においては純粋状態で示されるが、それはあらゆる機械で統整的な機能として存在している。ただしその機械は、その機能において位置付けられるような、ある種の非決定性の余地をもっていなければならない。人間存在、そしてより一般的に生体は本質的には変換器である。基本的な生体や動物もそれ自体で変換器である。」

 

同書transductif の項

 C'est de la réalité technique concrétisée que transporte l'élément, tandis que l'individu et l'ensemble contiennent cette réalité technique sans pouvoir la véhiculer et la transmettre; ils ne peuvent que produire ou se conserver mais non transmettre; les éléments ont une propriété transductive qui fait d'eux les vrais porteurs de la technicité, comme les graines qui véhiculent les propriétés de l'espèce et vont refaire des individus nouveaux.

Gilbert Simondon, Du mode d'existence des objets techniques, p. 73

 

訳注

opération:

メルロ=ポンティの「作動的志向性」(intentionnalité opérante)が想起される、主体と客体を媒介する自生的・媒介的働きを意味するので、「作動」「作用」と訳される。

メルロ=ポンティ「表現の科学と表現の経験」(1)

 

表現の科学と表現の経験(1)

問い:

・本を読んで何かを学ぶ、経験するということはどういうことか。

・これは視覚世界と共通点がないか。本で風景を「見る」「記憶する」

・本の記憶について。幼年時代の記憶や、他人といた記憶

 

1)本に没頭すると、「どんな視角から、どんなパースペクティヴから読んでいるかわからない」(176)

 

素朴な知覚においても、ある人を見るとき、視点や距離は関係がない。

見かけの大きさは「作られる」=奥行がない世界。

遠い物と近いものには「同じ尺度」がないのに、遠近法はそれをひとつの平面に押し込めてしまう。

メルロ=ポンティ=大きさとは、そこに「住み込む意味」である。

 

読書とその記憶

一般論:記憶は「保存」なのか「再構成」なのか?

 

本のばあい、ある作品はひとつの塊(ブロック)として想起される。幼年時代の記憶のように。

 

・「かけがえのない(singulier)」と同時に「くみつくしがたい」(inépuisable)であるもの。

 

会話の例。本当に会話らしい会話はどのようなものか。

「私はそれをまだ物のように手に握っている」(177)

「私の記憶のまなざしがそれを包んでいる」(177)

出来事の中にふたたび身を置く。

 

→ 「言語は、みずからの働きそのものによってわれわれの眼から隠れる」(178)

先端文化学研究VI (廣瀬浩司)

先端文化学研究VI

廣瀬浩司

 

  • 授業の主旨:

ことば(parole)とは何か。本授業では、

1)たんに記号として何かを指し示すもの。メッセージを伝達する道具。

2)論理的な思考体系(普遍文法)がどこかにあって、言語はそれを経験的世界において再現しようとするもの

この二つにはあてはまらないような言語のありかたを、模索してみたい。

 

方法としては、なるべくミクロな(具体的・経験的・偶然的・部分的)言語活動から出発して、それこそがむしろ普遍的なもの、永遠的なものにつながることを考えてみたい。

 

  • 基礎テクスト:

メルロ=ポンティ『世界の散文』の「表現の科学と表現の経験」の冒頭の具体例から始める

 

やり方

・テクストはゆっくり読み進め、細部も読み落とさないようにする。

・毎週範囲を指定し、あらかじめ読んできてもらう。

・それに基づいて教員が問題を提起し、できれば授業では議論もまじえていきたい。授業での発言の苦手な人はコメントペーパーへ。

 

内容としては

 ・テクストのポイントはどこか

 ・難解な部分についての解釈の議論

 ・他の場面に応用できるような議論はないか(とくにこれを奨励)

 

・最後にコメントペーパー。

・数回(3-5回)読み進めた後に議論を整理するため、授業時間を使って小レポートを書いてもらう(長いコメントペーパーと思ってよい)

・それらを踏まえ期末レポートを練り上げていく。

 

評価:

・出席はとります

・議論あるいはコメントペーパーにより、あらかじめテクストを読んで深く考えているかを評価

・小レポート

・期末レポート

 

小レポートは、議論のまとまりごとにおこないますが、あらかじめ「いつ」と指定はせず、1-2週間目に予告します。重要な評価となるので、忘れたり、準備し損なったりしないよう気をつけてください。Manabaにも掲示するつもりですが、口頭の指示を優先します。

はじめのテクスト

モーリス・メルロ=ポンティ『世界の散文』みすず書房、p. 25以下一〇頁ほど。

授業では『言語の現象学メルロ=ポンティコレクション5、p. 176以下を配布します。

問題のあらすじ

・読書とはなにか,から出発して、真のコミュニケーションとは、真に言葉らしい言葉とは、他者との関係とは、まで徹底的に考える。

・見えるものと読まれるものの共通点と差異

・他者との真の会話、コミュニケーションとは?

・「話された言語(語られた言語)と話している言語(語る言語)」(179)

先端文化学演習II: 『眼と精神』イントロダクション

テクスト

メルロ=ポンティ(1908-1961)『眼と精神』第4節を精読する。今学期はとくに、用語などの次元でも深く読み込めるようにする。

 

フランスの現象学者。心理学、精神病理学言語学、人類学、政治哲学などとすりあわせつつ、身体と知覚から出発する独自の現象学を練り上げる。

また作家や画家などの営みと哲学を密接に重ね合わせたことでも有名。

 『眼と精神』は1960年に彼が公刊した最後の論文。当時彼は『見えるものと見えないもの』という大著を準備中で、哲学をデカルト以降の根本からやり直そうとしていたが、急死により未完。謎めいたところもあるこれらの著作は、デリダドゥルーズフーコー、リオタールらのいわゆるポストモダン哲学、ディディ=ユベルマンらの美術理論、インゴルドらの人類学、臨床哲学看護学認知心理学脳科学などなどに多方面な影響を与えたが、その思想はまだくみつくされていない。

 

  • 読解、発展のためのいくつかの補助線

芸術論・表現論として

・遠近法により3次元の「錯覚(illusion)」を与える古典芸術にたいして、セザンヌジャコメッティロダンマティス、ドローネ、そしてとくにクレーがどのように新たな時空間を切り開いたか

・この試みは、新たな哲学、存在論を予告する。

・以後の現代芸術に息づくメルロ=ポンティ

― 鑑賞者の身体を含めた場の創出(VRではなく)

― 視覚や感覚の運動性(映画以後の藝術)

― 触覚などの復権

― 野生の存在、なまの意味など(アール・ブリュット、児童画、プリミティヴィズム、アートセラピー・・・)

― 他者との、身体的・感覚的な共同性(間身体性、間主観性

 

哲学として

・見えないもの、現れないものの現象学。見えないものとはたんに見えるものに隠されたもの、否定されたもの、抑圧されたものではなく、見えるものの現れそのものと「混じり合い」「それをひそかに織りなす」もの。

→ 同じように「語りえぬもの」を語る試みもある。言語に混じり合った「沈黙の糸」

・画家のような孤独な試みがどのようにpublicなものになるか。

個人的なもの、偶然的なものが普遍的なものに開かれる。

「側面的普遍」「概念なき普遍」

・他者たちとの関係。自分と共存しうるような他者たち(観客)を創り出すものとしての作品。

 

  • その他

「なまの存在」を語りつつメルロ=ポンティが新しい歴史論を模索していたこと。

たんなる出来事の羅列でもなく、ヘーゲル的歴史でもない、<未来と過去が、現在において共鳴するような歴史>

 

・見るものであると同時に見えるものである身体

・物のただなかから生まれる視覚

・世界は身体と同じ生地でおられている

・身体は外部を迎え入れる

・鏡と絵画

・存在の裂開

・「問いかけ(interrogation)」という方法

 

参考資料(プリント)

本郷均「『眼と精神』――晩年の存在論に至る思考の深化」、『メルロ=ポンティ読本』法政大学出版局所収。