メルロ=ポンティ
宮本省三『メルロ=ポンティとリハビリテーション』、『現代思想』2008年一二月臨時増刊号、pp. 182-199. 概要:認知運動療法のカルロ・ペルフェッティの理学療法の意義を、メルロ=ポンティの哲学と共鳴させながら探ること。 構成: イントロダクション、問…
知覚=感覚されないもの、感覚によってしか感覚されないもの 先週のメモ 他我認識論をめぐって ・「窓の外の人は自動人形ではないか・・・」(デカルト的問題設定) ・超越的他者と目の前の「汝」や隣人(ユダヤ=キリスト教的) ・「他者の意味」はそもそも…
現象学と絵画(改訂版) ・目的:絵画を「哲学的」に分析するのではなく、むしろ画家の営みをモデルに思考すること。(プリント1参照):絵画という「感覚的なもの」にも、<他者と分かち合い可能性>がある。数学的なものだけが「客観的」なのではない。「…
『眼と精神』(1961)モーリス・メルロ=ポンティ (みすず書房、武蔵野美術大学出版局) 担当 廣瀬浩司 この授業でかんがえてほしいこと 1)身体をもっている私たちは、どのような時空間を生きているだろうか。 2)ふだん意識しないそのような時空間を、…
はじめに 『シーニュ2』に収められた「マキャヴェリについての覚書」はメルロ=ポンティ一九四九年の論文。メルロ=ポンティは一般に「共存」の哲学者として知られるが、この論文ではめずらしく「根源的闘争」の場としての政治の場から、いかに「集団的生活…
Cf.「言語の病理」、『意識と言語の獲得』、pp. 76-83 ・概観。常態と病態はまったく同一でも、まったく異なったものでもない。 ・言語性幻覚(hallucination verbale) ダニエル・ラガーシュ『言語性幻覚と発話行為(パロール)』の記述 Dépersonnalisation…
見えるものが自己に到来する(『眼と精神』) ・「人間」を超えた「自然」における出来事 ・ただし現象学は、知覚主体に定位するので、このような一種神の視線からの記述はしない。 ・ただし見えるものの「ぶれ」を身体的に感受し、そこに「さらに先に進む」…
1)「言述(言説)(discours)が私の中で語っている」=言語の「自己媒介」的な働き。ただし「私」を通して作動する。 媒介とは ・みずからの働きをみずから隠しながら働く ・媒介されるもの(主体と客体、作者と読者)はその結果として生じる ・媒介が「生産…