廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

アスケーシスと「主体と権力」

「主体と権力」(1982)
・ 自分の仕事は、権力現象の分析ではなく、人間が主体化される様式の歴史。
・ これまではそれを「客体」として分析してきた。
1)『言葉と物』:言語学、経済学、生物学という「知」による人間主体の客体化
2)『監獄の誕生』:狂気と正気、犯罪者と市民という「分割」実践による客体化
3)『性の歴史』:「性の主体」として自分自身を問題化してきた主体
ファシズムスターリニズム:政治的合理性の観念の活用。
とりわけp. 15以下を参照。
・ 「個別化の支配」に対する闘争
・ 「われわれは何者であるか」という問い。個人をその内面にくくりつけ、他者に服従させるものに対する闘い。
・ 司牧(司祭=牧人)権力。個別化と全体化を同時になす権力形式。
教会の目的:
1) 来世の保証
2) 信徒の生命と救済のために自己犠牲
3) 個々の人間を見守る、
4) 良心の検討によるひとりひとりの真理の表明(告解)
・ 18世紀以降の「近代国家」いおいて、この市僕権力が世俗化されたかたちで広がる。ただし目的は異なる
・ 1)来世の保証ではなく、現世での救済(健康、福利、安全)。医学の厚生機能。
・ 2)官僚と内務省:都市の整備
・ 3)population(人口、住民)についてのグローバルな管理と、個々人の分析のダブルバインド

カント「啓蒙とは何か」。
「何者かであることを拒むこと」

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・ 「禁欲」(ascetism):これが自己(の欲望)を放棄すること、と理解されたのは、キリスト教以降。たとえばその前のストア派においては、「アスケーシス」とは、未来の災厄に対して防御する「訓練」のこと、そのために真理を身体化することと考えられていた。それは「備え」として、身体に組み込まれるものであり、身体から何かを取り去ることではなかった。
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