廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学研究:1月8日:主体と真理

フーコーは1970年代終わりから、『監獄の誕生』に代表される、権力と知の関係という問題を捨て、「主体」はなぜ「自己の真理」に縛られていくのか、という問題を立てる。このことは何を意味するのか。
参考文献:
・ 『自己のテクノロジー
・ 『主体の解釈学』『生者たちの統治』『自己と他者の統治』『真理の勇気』
「主体」といえば、ふつうは「自己認識」「自己を知ること」のことを思うだろう。(1)プラトンは鏡の中の自分の目を見つめるようにして自己を見つめることによって、「汝自身を知る」ことができると考えた。そうして感覚的な世界から、学問的世界に飛翔することができると考えたのである。(2)また、デカルトは感覚的なものを方法的に「懐疑」し、「我思うゆえに我あり(Cogito ergo sum)」に到達する。これは究極の真理の認識への道のり、テクニックである。このデカルトの確信は無限に無限な神に支えられていた。(3)それに対して、カントは、人間が本来(アプリオリに)認識できる限界を定め、「人間学」を創設する。これは有限な主体が何を知ることができるのか、という問いである。『言葉と物』においてフーコーは、このカントの認識論と、人文諸科学(言語学、経済学、生物学)という「知」がそれとどう結び付いているのかを問い、来たるべき「人間の死」を語った。(4)20世紀初頭には一方ではフッサールが「超越論的主体」を究極の基盤とし、その裏側でフロイト精神分析を創設し、いわば「無意識」の真理を解読する。21世紀にはこうした「汝自身を知れ」という要請はいたるところにある。「あなたの心の闇を探りなさい」「あなたの認知の歪みを矯正しなさい」「心に残っている痕跡を暴露しなさい」。私たちはこうして「自己の秘密について語る」ことを、だれに強制されたわけでもないのに、たえず強いられているのである。
 70年代後半にフーコーが「主体と真理」の関係を語るのは、こうした「認知モデル」とは異なった、もうひとつ別の「自己のありかた」を模索することである。彼はそれを自己の「倫理」ということもあるが、このばあい「倫理」とは自己のあり方のこと、存在のスタイルのことである。異なった存在のスタイルの模索は生の作品化でもあるから、「生存の美学」とも言われる。フーコーはそれまでは種に近代社会を問題にしてきたが、「主体と真理」について語るためには古代ギリシア=ローマまで遡らなければならないと考えた。そして、これはかならずしも哲学史で語られるような認識論の歴史では不十分である。そこでフーコーは、主体を「自己の真理」に縛り付けていく実践の歴史を掘り出していく。(1)ソクラテスは「汝自身を知れ」というだけではなく、「自己を気づかいなさい」「自己を配慮しなさい」と述べていた。そして古代ギリシアにおいては、自己を気づかうことによって、他者を気づかうこともでき、他者を「統治」することができると考えられていた。(2)ストア派セネカ(紀元前1世紀)は毎日夜になって自己を検討する。しかしこれは「内面性」を反省することではなく、むしろ自己を統治することであり、不意の出来事に対してあわてないですむよう、真理をいわば自分の中に植え付けることであった。それはネガティヴな行為(悪の排除)ではなく、真理をいつでも使えるように手元において武装するポジティヴな行為である。(3)その後のキリスト教は、「彼岸における救済」のためのさまざまな儀礼を行っていた。悔い改め、良心の検討、告解などである。初期のキリスト教ではこうした儀礼はかならずしも自己の内なる悪(サタン)との戦いではなかったが、原罪の思想や修道院制が整備されるにつれて、「告解」が制度化され、死後の救済のために「自己の内なる悪」を語る、という儀礼が作られたのである。
 現在の「自己のありかた」はどのようなものだろうか。それはどのような実践や制度によって決められているのだろうか。そして「自己のあり方」を変えようと思うならば、どうすればよいのだろうか。それは同時に私たちを取り巻く実践や制度を変えること、新たなものを発明することではないか。そうフーコーは呼びかけているのである。