廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

仮面のリヴァーシビリティ

先週のまとめ
ポイント:
国立近代美術館の小展覧会『てぶくろ ろくぶて』を紹介しながら、哲学者モーリス・メルロ=ポンティの「可逆性(reversibilité)」の概念を紹介。テーマ。
1)「モノ」の世界との出会い、「モノ」からの働きかけ。手を媒介とする「モノ」と「私」の交錯(→仮面)
2)触る私に触れる。見ている私を見る。感覚している私を感じる。究極のナルシシズムが、新しい世界への覚めをもたらさないだろうか。言葉の回復、他者との出会いにつながらないか。
3)一点透視図法(遠近法)への疑問視
問い:
→ このような身体の「リヴァーシビリティ」はどのような瞬間に体験されるだろうか。
・ たとえば「じぶんのからだが<ある>」ということを実感できるのはどのようなときなのであろうか。
・ ・また芸術家たちが「鏡」や「モノ」を使ったように、「モノ」との交錯はどのようにおきるか。このことに「仮面」の問題を考えることから接してみたい。
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「仮面」について
1)文化人類学的視点:儀礼、祭祀の一貫。機能は「仮装」と同じ。「変身の所作」。変身、変貌のための道具。a) 超自然的バリアb) 超自然的なものの化現 c) ある共同体への所属の標識。d)支配の手段。恐怖感を与える。(『文化人類学事典』)。しかし、これは、「仮面をかぶる人」にとっって、それがどのような体験なのかは教えてくれない。
2)哲学的視点:坂部恵『仮面の解釈学』(東大出版会)、ニーチェの哲学
3)演出家の視点:竹内敏晴
参考文献:
竹内敏郎『からだの変容』(『セレクション 竹内敏晴の「からだと思想」』

竹内敏晴(1925-2009).
演出家。難聴者として生まれる。青少年機に回復。しかし「ことばを取り戻す」までにはさまざまな模索があったことは『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫)に記されている。竹内演劇研究所開設。「からだとことばのレッスン」(自分に気づき、他者に出会う)を続け、障害者教育にも取り組む。

○「仮面」についての従来の考え方:「人間の意識の発展段階のなかで、ある太古の段階に対応」。近代によって失われたもの。共同体の心性の爆発(カーニヴァル)。
→ 竹内敏晴はむしろ、現代の世界において、「人間を越えるものへの志向」「人間の全存在を回復する方法」を模索。とくに仮面をつけたときの、仮面からの身体意識の変容に注目。
・例)「火になって燃える」レッスン。仮面をつけて、「火になって燃える」課題。本人がやったところ、「来た」と思ったときに、からだがころげまわる。
「仮面は隠れるものではない。個性的な表情を消したまま、大きく目を見開いて、新しく世界に立ち向かい、発見する──むしろ新しく世界が立ち現れるのに立ち合うためのものだ」。

・能面に関する考察:
1)「物」にみずからをあずけることによって、演者の身体(肉体)を解放し、自由にする
2)面は道具ではない。むしろ面が演者を導く
3)面を生かすのは炎だ。炎の動き、影の動き、その流れ。

○ さしあたってのまとめ
・ 能をかぶること、それは身体の変容をもたらす。そのとき「自己」は消え、運動は「物」に委ねられる。物とからだとの交錯そのものの運動が立ち現れる。それははっきりと見えるものではなく、影、光のたわむれ、あるいは亡霊のようなものとしてあるが、それこそが人間を人間として世界に立ち向かわせてくれるのである。

○ 能と仮面劇
・ 直面(ひためん)
・ 仮面が顔を隠しきらない:仮面であることをあえて見せる。「仕掛けの露呈」(ブレヒト
・ 「地謡」という「場」
・ 媒介者としての「ワキ」
・ 劇団阿彌の仮面劇<アミナダブ>:(竹内敏晴のレッスンから派生、後に能楽師観世栄夫に師事)。
○ 問い
1) 真の自分/仮装した自分 という対立との関係
2) このような経験を観客に見せること、あるいは他者に「伝承する」とはどのようなことか?