廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

『眼と精神』まとめ及びレポート

コメントより
・「存在するけれど触れ得ない境界」(デリダ)。Cf. デリダ『盲者の記憶』)
・線というより「腺」や「筋」。内的にある、からまった無数の筋をすくい上げてキャンバスに貼っていく。(水槽の筋を救う→グロテスク芸術)→ cf. 加賀野井秀一『猟奇博物館へようこそ』
・一でも多でもある感覚。自伝の一人称小説→デリダの「自伝」。『たったひとつの私のものではない言葉──他者の単一語使用』)。デリダは「生の記録(bio-graphy)が「死の記録(thanatology)」であることを強調。記憶なき記憶。現前しなかったものの記憶。メルロ=ポンティはそれに対して、「現在」という瞬間の「多産性(fécondité)」を強調。
・[40]について。動詞的な知覚、見ることは常に見直すこと。そのつど世界と出会うこと。
・[39]時間的遍在性の仕草。そこにおける運動的気づき。
IVの補足:
・線:「見えるもの」ではないが、見えるものをひそかに支える裏打ちへとつながる「見えないもの」。経験のエッジ。物の相互の重なり合いが、それらの「秘密の中心」へと視線を誘う。見えるものの見えない裏地(186)。
・私はひとつのパースペクティヴから世界を見ている。そしてそれは他のパースペクティヴと連動している。しかし世界そのものは、さらに先にある。「私と独立に存在するために私のパースペクティヴにしたがって存在する世界。私なしに、世界として存在するために私にとって存在する世界」(185)

V.
・部分的にして全体的
・ある技法が獲得されると、別の領野が開け、すべてが語り直されなければならない。「探究されるべきもの」の発見。
・絵画の歴史:逆行をはらんだジグザクの歴史。「声なき歴史性」(195)
・p. 199の歴史論。現在は、過去を変容することによって、過去のすべてを取り上げ直し、未来の地平を開く。それは一本の線の「歴史」に凝集されている。

他の問題
・絵画をモデルに他のものを考えること。たとえば言語。「語る言葉」と「語られた言葉」。絵画においても「美術史」(様式史)が語られるように、言語的な「沈殿」や構造はある。絵画でも何かが「決定的に獲得される」ことはある。ローカルな進歩や発見はあるのだ。
他方、言語においても、「沈黙」がある。誰も語ったことがないことを語る。「耳の聞こえない人が唇を読むように、目の見えない人が、世界の声を聞くように」。「すべての言語は沈黙である」(「間接的言語と沈黙の声」)
→ 数学のように理念的なもの(どこでも誰にとっても真理であるようなもの)ではないが、空間や時間全体に広がるような絵画的な「普遍性」(具体的な普遍性、斜めの普遍性。ジグザクの道での飛躍の獲得)がある。
・しかし絵画と言語は相対的な差異もある。言語はより同時代性に拘束されやすい。(では音楽は?)
・「文化」一般を絵画をモデルに考えること。進歩史観でも構造主義でも相対主義でもない。
倫理学。画家が世界に投錨しながら獲得する「自由」をもとにした倫理学
政治学、政治思想
・他の分野におけるメルロ=ポンティの応用。現代アート、他の芸術(建築、パフォーマンス)、人類学(『現代思想』の臨時増刊号最新号、看護学現象学看護学)、心理学(アフォーダンス理論、オートポイエーシス)、言語学認知言語学)、社会学現象学的社会学、相互行為論、会話分析など)、精神病理学現代思想フーコードゥルーズデリダ、リオタール、ロラン・バルト…)

研究計画の書き方(これを参考にレポートを書く癖をつけるとよい)

論文題名:例)A)『眼と精神』における触覚の問題。B)『眼と精神』における20世紀絵画の存在論
副題:A)触れる眼差しと見る触覚。B)その現代性に注目して
○ 論文題名は種に研究対象のみを明示して、あまり色をつけない。
○ 副題は、筆者の視点や方法論を示唆するようなものでよい。

研究動機
A) 『眼と精神』における視覚は、純粋な認知の視線ではなく、色彩、反射、他の感覚、そして運動などと絡み合っている。ここではとりわけ触覚に注目し、世界や他者に「触れる」ということの意味合いについて考えてみたい。
B) 『眼と精神』は絵画を題材に、現代の「存在論」や「歴史哲学」を模索するものであった。それが古典的存在論と歴史哲学とどのように異なるか考えることで、その意義を明確にし、またメルロ=ポンティが論じなかった現代に至るアート一般の意義についても考えてみたい。
○ 動機は一般に論文の隠れたモティベーションなので、かならずしも論文などに書かなくてもよい。志の高さだけを示せれば十分である。

研究目的
A) 現代における触覚の意義を明らかにすることで、現代において軽んじられている「触れる」という行為が、他者との視覚的・言語的コミュニケーションとは異なる、根源的な紐帯(ふれ合い)となりうることを明らかにしたい。さらには視覚や言語にも新しい意義を回復できることも期待したい。
B) 現代絵画は現在、その「社会的役割」にのみ注目されているが、それを考えるうえでも、まずは私たちの「生身の身体」と視覚世界の深いコミュニケーションの場がどこにあるかが必要であると考え、メルロ=ポンティにまで遡り、現代アート、道具、家具、建築、人間環境などのあり方について提言してみたい。

研究方法・計画
A)『眼と精神』を精読することで、触覚についてかかわる部分を引用し、以下の諸点を示す。
・身体行為と触覚
・近代思想における触覚の位置付け
・現代絵画・彫刻における触覚
・まとめ:触覚とコミュニケーション
B)
メルロ=ポンティが取り上げている芸術家をひとり取り上げ、その画家についての画集や参考文献を調べ、メルロ=ポンティの言葉をふくらましたり、画家の言葉との重ね合わせ、専攻研究との視点の違いを調べる。
または/および
メルロ=ポンティが取り上げていない任意の画家について同様に調べ、メルロ=ポンティの解釈と同じように突き合わせる。
○ 「方法」は要するに、ひとがやっていない何かを見つけて、それに徹底的にこだわることから生まれる。要するに対象(本文)との密着から始めて、自分がこだわる点をどうすればうまく表現できるか考えること。ひとまず参考文献、というのでももちろんいいが、散漫になる危険がある。

結論の見通し
A) メルロ=ポンティが問題にしたのは、とりわけ「視覚における触覚的なもの」である。視覚より触覚が重要だと言うのではない。触覚的視覚は、身体の行為と連動しながら、能動—受動の交差する地点において、「精神」を触発し、制作へと結び付けることを示したい。
B) ・メルロ=ポンティはとりわけセザンヌから発する系譜、すなわちマティスジャコメッティ、ドローネ、クレーらに注目し、それらがいわゆる「技法」の差異にもかからわず、共通の課題に応えようとしていることを示す。
または
現代アートにおいてもメルロ=ポンティセザンヌ的課題が有効であることを、生態学的心理学や人類学や看護学などにおける展開などを参照しながら結論したい。

参考文献
(今回は基本は『眼と精神』の読解なので、加点対象
1) メルロ=ポンティの著作
・「セザンヌの疑い」、『意味と無意味』(みすず)所収
・「間接的言語と沈黙の声」(『シーニュ1』所収)
・『知覚の現象学』(みすず書房
2) メルロ=ポンティ以外の思想家の芸術論
ジル・ドゥルーズ『意味の論理学』(フランシス・ベーコン論)
ジャン=フランソワ・リオタールディスクール フィギュール』(法政大学出版局
ディディ・ユベルマンの著作
晩年のロラン・バルトの著作(『テクストの快楽』、芸術論)
3) メルロ=ポンティについての著作、論文、触覚論など個別主題の調べ方。
・図書館でメルロ=ポンティコーナーでみるとよい。鷲田清一木田元市川浩などが日本のメルロ=ポンティ主義者。
・その他CiNeeなどで、論文を検索する(電子ファイルがなくても雑誌を見る)などの作業が入ると良い
・欧文のものを見るとさらによい。

レポートについて:
1)2月17日(水)17時。
2)方法:メールにて。
3)内容。『眼と精神』に関するもの。引用を多くし、『眼と精神』の引用は「・・・」(189)などでよい。
4)枚数。2400字以上。上限なし。
5)評価基準。1)出席2)中間レポート3)内容。(1)メルロ=ポンティのテクストを熟読しているか。(2)とくに一般的な考えとは異なるメルロ=ポンティ思想をつかみ取ろうとしているか(3)それが明快なかたちで記されているか。字数は十分か(4)自分なりの視点や表現を工夫しようとしているか。(5)他の文献の参照は加点(A+になりやすい)。
触発する/される身体
 ――障害学、人類学、美学の観点から

講師:田中みわ子(障害学)、吉田ゆか子(人類学)
   増田哲子(美学)
時間:3月26日(土)
15:00 – 17:30
場所:人文社会科学系棟A101

学類生の方の参加も広く歓迎いたします。

趣旨
________________________________________

 社会的・文化的に規定された「身体」を触発し、「見るもの」と「見られるもの」のあいだにダイナミックな関係の場を立ちあげる「身体性」――このような「身体性」はさまざまな文化のなかで、具体的にどのように機能しているのか。
本シンポジウムでは、異なるフィールドで活躍する現代語・現代文化(現代文化・公共政策)専攻の修了生3名をお迎えすることで、規範的でありつつ逸脱するものとしての身体と芸術を肯定的に捉え直し、現代に生きる身体の理解を参加者とともに深めていきたい。
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シンポジウム:触発する/される身体
 ――障害学、人類学、美学の観点から
講師:田中みわ子(障害学)、吉田ゆか子(人類学)増田哲子(美学)
時間:3月26日(土)15:00 – 17:30
場所:人文社会科学系棟A101
学類生の方の参加も広く歓迎いたします。
趣旨
 社会的・文化的に規定された「身体」を触発し、「見るもの」と「見られるもの」のあいだにダイナミックな関係の場を立ちあげる「身体性」――このような「身体性」はさまざまな文化のなかで、具体的にどのように機能しているのか。
本シンポジウムでは、異なるフィールドで活躍する現代語・現代文化(現代文化・公共政策)専攻の修了生3名をお迎えすることで、規範的でありつつ逸脱するものとしての身体と芸術を肯定的に捉え直し、現代に生きる身体の理解を参加者とともに深めていきたい。