廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

木村敏論のためのメモ2:時は流れず

氏の思想である意味もっとも現象学的であるのは「タイミングと自己」という論文である。そこで彼は、時間を三つの位相に分ける。ひとつは「父母未生の生」という時間以前の時間。これは形而上学的前提というよりは、現象学的な記述が深まるにつれて、「なかったことがありえないような何か」として提出されていることに注目したい。第二の時間性は「発生機の時間」、まさにたえず「つかむ」「つかまれる」瞬間として、「垣間見られる」ものである。そして第3の時間が、いわゆる「過去把持」と「未来予持」を伴う現在の「流れ」であり、「もの」としての時間である。
 忘れてはならないのは、これらが相互に基礎付け合っていることだ。第一と第二の時間は「流れない」。あるいは流れるものとして経験されない。第一の時間が他を基礎付けているわけではないのだ。第三の時間はけっして現れず。それとして経験されない。ヴァーチャルな時間というよりは、潜伏する場としての時間だ。(続く、かもしれない)