廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

ドゥルーズ『感覚の論理』問題提起

7の追加
・感覚が、水準の差異をともない、ある水準から別の水準へ移るのはどうしてか(69-70)
器官なき身体:器官がない=多価的な未規定な(plurivoque et indéterminé)諸器官=時間的移行的(transitoire)な諸器官

こうした諸器官は「覚遊病者」のような「自己視(autopsie)」で感覚される。
◎ この「自己視」はたんに病理的な現象だろうか。それとも私たちが自分の身体について持っている「内感」と関係しているのだろうか。


8 「力を描くこと」 の問い
1)絵画の使命が「力」を描くことだとしたら、「力」と「感覚」はどのような関係にあるのだろうか。
→ 時間、圧力、慣性、重さ、引力、重力(80, 改訳)
「諸効果の解体(decomposition)と再構成」

◎ 力→(感覚)→Figuresの関係はどのようなものか?
1)空間に眠っている「可能性」の一部が「実現」した?
2)力は、むしろ多様に分岐するようなものとして、「非意味的な線」「色彩のヴァリエーション」として、「見えるように」なるのではないか。
Cf. 「可能性(possible)」と「潜在性(virtuel)」の区別。可能性は「限定」されて「リアル(reel)」になる。潜在性は、はじめから「リアル」で、多様なアクチュアルな線へと分岐する。

2)Figureと静的なdéformation(歪形)(⇔transformation変形)の意味(82-84)
◎ figureの静的な歪みは、むしろ空間全体に収縮と拡張の運動を引き起こす。

3)「叫び」
・「〜に対して叫ぶ(crier à)」と生命の問題(85-87)
◎ これは「死」を前にした恐怖ではない。
「恐怖より叫び」を選択することはなぜ生への信頼となるのか(86)
4)まとめ87-89

コメント
ドゥルーズは、ベーコンのFigureのありかたについては語るが、それを「見る」身体、「描く」身体についてはあまり語らない(メルロ=ポンティとの違い)。ベーコンを見る私たちの身体はどのような効果を受け取るのだろうか

参考図半
・ミレー=ゴッホ=ベーコン
セザンヌ=ブラック=ベーコン→インスタレーション