廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

写真と絵画

1-4についてのコメントより
・写真は人間の目に近い機能を持ち、人間の認識能力に近いものか
・写真を見るとき、写真の中に写る物をイメージ化して、それを写真自体と同一化する。写真そのものは純粋に見ない 
→ そもそも私たちが何かあるものを見るとき、パイプはいやおうなしにパイプとしてそこにある(パイプの客観性)。しかし私たちは、パイプを私たちの「視点」からしか見ない。他人も同じように見ているかはわからない。
・写真はかならず被写体を要し、写真という概念がそれ自体独立できない
マグリットが「絵画」であり、バルトは「写真」という差異
・すべて見るものにおいてあるイメージを参照しているので、私たちの思考は自由ではない
・写真の裏にある事実 → フレーミングの問題?
・感覚ではわかっても言葉や文にするのがむずかしい → 絵や写真があたりまえのこととして実現していることを言葉にする難しさ。「論理的」に語ろうとすると、矛盾に矛盾を重ねなくてはいけない。これを一度「解決」したのが「弁証法」。しかし弁証法は概念の力でイメージを抑圧してしまっているのかもしれない。文学言語ではどうか?
・写真の歴史と心身二元論
補足:
1 camera obscura : cameraとは「部屋」の意味。
15世紀:数学的な遠近法の技法が発明される。
17世紀:空間の幾何学化が確立。例)フェルメールの暗箱利用。
    同時期にデカルトが『方法序説』『省察』で心身二元論を説く。
19世紀:ニエプスが光の定着技術をはじめて発明したと言われる(1827)
その後ダゲールがダゲレオタイプ銀板写真)を発明。肖像写真の 流行。
・写真技術は(1)ルネサンス以降の暗箱 と (2)光の定着のための化学的技術の両方で可能になる。
・注目点:興味深いことに、19世紀後半になると幾何学的遠近法に基づかない絵画が模索されていく。

まとめ:従来の絵画は、ある視点から世界を切り取り、その世界を幾何学的な遠近法を使って統御するものであった。それにたいして写真は、「指示対象」という余計なものを含んでいて、私たちの統御を揺さぶってしまう。このような揺さぶりは、絵画の歴史では19世紀後半に起きた出来事であり、マグリットの絵画はそれをよく現している。

デューラー(15―16世紀)


フェルメール(17世紀)とカメラ・オプスクラ

現代絵画へ:マネ(19世紀半ば)