廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

せざんぬの懐疑よん:制度化から間主観性へ

つづき

「制度とか創設とかいうと、どちらかというと行動規範や意志の介入を感じてしまうのだけれど」
「じつはそのあたりも射程に入れたいからこそ、この言葉を使う。画家が筆を動かすとき、そこで
触知されている時空間、そしてそこで筆がおろされる。そこには「選択」がある。こうして画家の
タッチのひとつひとつに世界が凝縮される。ローカルなタッチが、いわば結晶核のような役割を演じることで、世界の現れを規範化するのだ」
「ぜひあなたの絵を見てみたいね」
「やめてくれ。私は言葉の人間だ。だから言葉以外のものに羨望があるわけ」
「ずるいなあ、芸術家だけに苦労させて」
「それはともかく、制度化と言う言葉には、行為のさなかにおける規範の創設、という
ニュアンスがある。また無意識的な次元も含まれる」
「欲望する機械って感じだな」
「やめれ、あれはマンガだ。ポップだとおっしゃるわけだけど。」
「制度化じゃマンガは書けないな。リゾームならかける」
「そういうカタカナ言葉をスローガンにした瞬間に、思想はおしまいだ。彼らが
そうだとは言わないけれど。制度化だって、プロジェクトとかプラットフォームとか
言っちゃったらもうおしまいだ。また、ドゥルーズはミステリーとSFをモデルに哲学するとか
言うけれど、前者はアガンベンのような陰気な笑いになり、後者はヴァーチャルリアリティ
を楽しむ観客の無邪気さにつながってしまっている。そんなものよりミステリーやSFを読んだ方がよい。
脳科学そのものというより、脳科学的なお話しも
そういうファンタスムの塊だ、悪夢だ」
「きみは悪口は明快なんだな」
「終わらせるべきものを終わらせたい、死者をして死者を葬りたいだけだ」
「そのくらいにしておいたほうがいいよ」
「あなたは正しい」
「でもさあ、制度化というと間主観性の問題がかかわってくるよね」
「そちらに行きたいわけだ」
(つづく)