メルロ=ポンティ「表現の科学と表現の経験」(1)
表現の科学と表現の経験(1)
問い:
・本を読んで何かを学ぶ、経験するということはどういうことか。
・これは視覚世界と共通点がないか。本で風景を「見る」「記憶する」
・本の記憶について。幼年時代の記憶や、他人といた記憶
1)本に没頭すると、「どんな視角から、どんなパースペクティヴから読んでいるかわからない」(176)
素朴な知覚においても、ある人を見るとき、視点や距離は関係がない。
見かけの大きさは「作られる」=奥行がない世界。
遠い物と近いものには「同じ尺度」がないのに、遠近法はそれをひとつの平面に押し込めてしまう。
メルロ=ポンティ=大きさとは、そこに「住み込む意味」である。
読書とその記憶
一般論:記憶は「保存」なのか「再構成」なのか?
本のばあい、ある作品はひとつの塊(ブロック)として想起される。幼年時代の記憶のように。
・「かけがえのない(singulier)」と同時に「くみつくしがたい」(inépuisable)であるもの。
会話の例。本当に会話らしい会話はどのようなものか。
「私はそれをまだ物のように手に握っている」(177)
「私の記憶のまなざしがそれを包んでいる」(177)
出来事の中にふたたび身を置く。
→ 「言語は、みずからの働きそのものによってわれわれの眼から隠れる」(178)