廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

見えるものが自己に到来する

見えるものが自己に到来する(『眼と精神』)

・「人間」を超えた「自然」における出来事

・ただし現象学は、知覚主体に定位するので、このような一種神の視線からの記述はしない。

・ただし見えるものの「ぶれ」を身体的に感受し、そこに「さらに先に進む」ための契機を見出すことは可能。これは自然哲学ではない。

・見えるものの自己到来において、画家が「生まれる」ということは、このような感受の器官が、見えるもののただなかにおいて、そのぶれにおいて、作動することである。画家は生まれ直すのである。