廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学研究V 幼児の対人関係

幼児の対人関係(『眼と精神』所収、<メルロ=ポンティ・コレクション『幼児の対人関係』所収)

・1949年度よりソルボンヌ大学児童心理学・教育学教授。1949-50年度の講義。
・全体の問題
幼児における他人知覚の問題。
「一般に幼児が他の幼児や他人と接触するようになるにはどのような条件があるのか」
古典的心理学の限界
・心理作用は当人にのみ与えられている(「体感」)→他者という「人体模型」にどのようにしてこの心理作用が住みつくのか→他人の身体動作を「解読」し、自己の「体感」を他者に投影する。内的経験の移し替え。

この仮説の問題点
・他人認識はひとつの判断とされる。しかし幼児は、ごく早くから他人の表情を知覚し、笑顔に「好意」を感じ取ることができる。
・他人の動作を「解釈」するためには、自分の顔の動作と「類比」しなければならないが、そのふたつの対応関係はどのようにできるのか。どのように「模倣」できるのか。

メルロ=ポンティの出発点
・心理作用は当人にしか近づき得ないものではない。それは世界や物に向かう行動の仕方である。幼児はまず他人の行為を模倣する。どちらも世界のなかで活動する行為である。
・私の身体も「内的な体感」というよりは、世界との境界における「身体図式」である。動きの「スタイル」として、自他に共有可能。他人の行為と「対化(Paarung)」(フッサール)により、ひとつの系ができる。「他人が私によって疎外され、私もまた他人によって疎外されることこそが、他人知覚を可能にする」

→ 自分の身体を持っていることと、他人が心理作用を持つことを意識することは、一つのシステムである。
1 誕生から6ヶ月までにおける<自己の身体>
○ 3ヶ月まで
呼吸的身体。身体図式もないので、「知覚」もない(空間における位置把握、姿勢の調整)、運動性と知覚の結びつき。
○6ヶ月まで
他人の知覚はない。人が行ってしまうと「不足の印象」のみ。
伝染泣き
→ 視覚的知覚の整備や、自分の身体への関心とともに消えていく。
○6ヶ月以降
自分の身体像の獲得における鏡像の役割。
ヒル、犬:鏡像理解なし
チンパンジー:自己像を前にすると鏡の後ろに手をやるが、何もないと鏡への関心を失う→「像そのもの」の意識の瀬戸際。

さて人間のばあいではどうか。→ プリント。
注目点
鏡の像の「準実在性」。「イメージ的なもの」もひとつの意識の行為(志向性)であること。