廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

メルロ=ポンティのアール・ブリュット(先端V)

メルロ=ポンティ「表現と幼児のデッサン」(『世界の散文』の一章、メルロ=ポンティコレクション『幼児の対人関係』にも所収)、1950年代前半の草稿。

第一段落:問い
・「プリミティヴ」、幼児、「狂人」のデッサン
・無意識の詩(ダダ・シュルレアリスム)、「証言」、口頭言語
20世紀初頭におけるこうした「野性的(ブリュット)(brut)」な表現への注目は何を意味するのか。Elusif(逃避的)allusif(暗示的)elliptique(省略的)

仮説:美術館的な絵画、「客観的」表現への「反抗」を越えて、
・それらがひとつの「歴史的創造物」でしかないことを示す
・それらはもっと「一般的な意味する力」のひとつにすぎない。
・それらは「超意味的な所作」によって作り出されたが、そこには危険や偏りがあった。
第二段落のp. 198, l. 5まで
「客観主義」の錯覚とは
・「表象」(représentation):たとえば「客観的」世界にある「意味のシステム」を、絵画や言語作品として、一対一的に再現すること。
・例:「平面遠近法」(透視画法)(以下パースペクティヴ)
幼児の絵画は、パースペクティヴをいかに獲得していくか、という視点で論じられる。
参考文献:リュケ『子供の絵画』(金子書房)初版1927
・偶然の写実主義(realisme):自分の書いたものが偶然何かに似ている
・出来損ないの(失敗した)写実主義:写実的であろうとしてできない。
・知的写実主義:見えないもの、心の中のものもすべて描かれる
・視覚的写実主義絵物語):時間的な混合
→ 一点からみた平面遠近法へ

メルロ=ポンティの批判
・平面遠近法を到達点として前提し、児童画は「不注意」「総合ができない」とされる(当時の哲学の影響)
・そうではなく、それを積極的達成として理解すること、
私たちの立方体の作図は、一点から見ていながら、万人に妥当する記法の発明である。そのために、生きられたパースペクティヴを固定化してしまう。
あるパースペクティヴから見たイメージが、あらゆるパースペクティヴからみたものと「翻訳可能」である。あたかも神がみたような視点。あるいは無限な神が有限な人間の視点に立ったら見えるような映像を再現すること。
○では児童画をどのように「積極的達成」として語るべきか???
p. 198, 5行目以降、とりわけ、p. 198終わりから3行目「目標は。。」以下を熟読のこと。

キーワード:
・われわれと世界との関係(198, l. 6)
・クロード・ロランの光
・偶然性、運命、自由
・感情をふるわせる対象や光景
接触の痕跡
・「証言」と情報
・デッサンを「迎え入れる」
・決定的言葉(199, l. 3「決意の言葉」は誤訳)
・「有限性のしるし」
時間性
「現在はまだ過去にふれ、過去を手中に保持し、過去と奇妙なぐあいに強調している。」(p. 199, 後ろから3行目)

まとめ
児童心理学は、児童の絵によって子どもの発達過程をみきわめようとする。しかしメルロ=ポンティは、児童画から出発して、私たちの世界との関係を問い直し、さらに、それを新たに取り上げ直す現代絵画の試みを見きわめようとしていると言えよう。