コメントより:
・「神秘」という現象→ 自己や他者は「夢の中のように」現れる。テレパシー。
・ラバーハンド錯覚。→ 視覚情報と触覚情報を統合的に受容するメカニズム。
・自己感の誕生と、世界認知や他者認知が「同時的」。
・「意識を向ける」とは→「注意」。与えられたもののなかに「図」を浮かび上がらせて、知覚世界の構造を変えること。学びつつある意識。(『知覚の現象学』参照)。あたかも物に宿っている潜在的性質が現れ出るかのように。
・差異があることを感じること。両者の存在感を際立たせること
・唇を噛む、唇の痛みと心の痛みの調和、身体の全体が感じられる。→ このとき「世界が自分を感じる」「風景が身体の中で考える」(セザンヌ)
・人間の一番最初の自分ってどこ?
・受け入れられない部分はどうなるのか。不安、恐怖→ メルロ=ポンティはそれこそが「現象の骨組み」を作っているという。
・右手と左手、円環のイメージ
・認知の感覚器官→「器官」の発明(道具、筆、彫刻)
・マッピングの適切さとは何か。
・ネコの尻尾。
・幻肢→『知覚の現象学』参照。
・内側から感じる
・医療機器と身体→道具や機器の問題
・動作法
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「感覚はそれじたい自らで経験の境界を形成し、またそれは変動するのだから、自ら自身を形成し続けるよう、作動を継続しているだけである。(・・・)感覚は何かを受け取る働きではなく、自らで境界を区切る働きであり、それは円を描くように、自らの作動を継続しているだけであって、能動―受動に含まれている線状性に類似したものをまるで持ち合わせていない」(河本英夫「感覚の精神病理」、河本英夫・佐藤康邦編『感覚――世界の境界線』白菁社所収)(中央図書館、115.5-Ka95)
ギリシャ語autos+poiesis からの造語で、みずからがみずからを生み出すことに生命の本質的特性をもとめるシステム理論。チリの生物学者マトゥラーナと認知学者フランシスコ・ヴァレラ(バレーラ)(1946-2001)によって「生きているとはいかなることか」を問う。
概略:
生命:構成素(細胞など)の再生産(細胞分裂)のプロセス。→ そのとき、再生産の個々のプロセスが、同時にそれが所属しているまとまり(細胞膜など)とその外部(環境)を区別している。
その後パリで現象学と研究協力、メルロ=ポンティを延長して、「神経現象学」や「行為的な産出」(enaction)という概念を広めつつ、仏教との接近も深めていた。(『現代社会学事典』による)
主要著作:マトゥラーナ/ヴァレーラ『知恵の樹』(ちくま学芸文庫)、ヴァレラ/トンプソン/ロッシュ『身体化された心――仏教思想からのエナクティヴアプローチ』(工作舎)