廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学研究6(修正版)

コメントより
・教えるとは何か
・触覚的感覚がうまく機能していないとき、他の感覚器官を同じに機能させられるか→代償行為
・差異を感じること=差異を認知しよう、ではなく、「呼吸をしよう、したい」というキネステーゼ
・感覚や経験はあいまい→神経現象学
・なにかができない。原因んがわからない、練習を増やす、フィードバックがない。
・ライブハウスの震動
・アイロンをあてる、と言いながら冷たいスプーンをあてるとやけどする。
・乗り物酔い
体幹トレーニング
・箱に手をつっこんで中身をあてるゲーム。「気圧」
・「私は感じる」はつねに遅れてくる。生々しい原感覚では息すらできない。「前景化の可能性は<来るべき>という純粋な可能性にとどまり、全体的な形式の変革は非存在化の境界の超越である。
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『損傷したシステムはいかに創発・再生するか』(河本英夫)(つづき)
「発達」と「能力」

発達について(25)
・発達と障害、という思考を乗り越えるために!25-28
ポイント:発達はまぎれなく進行している(なにかが発達をドライブしている)が、他方で、発達(および障害)は後からしかわからない。
・障害の「治療」:他者の経験の変化のプロセスにかかわる、という難しい課題。当人は「代償機能」を形成してしまう(例。言語的代償. Cf. p. 156)
・病態失認。行為遂行の小さな成功の後に、はじめて失敗の理由に気づく。「治療目的」中心では解決できない。
→ 「視点の移動を組み込んだ行為の形成」(27)。目標はあるが、いちどそれをカッコに入れる。
→ 「能力」そのものの形成:次はできるだろう、という予期。
経験や試行錯誤は必要。しかしそれが「成功」に結びつくという予期を作り出すこと。明日は歩けるだろう、スランプからの脱出はこの「能力」の形成が必要。

学習のパラドックス。「学習が可能であるためには、そもそも学習能力が備わっていなければならない。だが学習能力が備わっていれば、わざわざエクササイズを課す必要はない」29
→「能力の自己組織化」。
・「相転移(全面的局面の変化)」が起きる分岐点まで誘導する、その分岐点でどの方向に誘導するのが有効か。

能力とは何か。たんなる経験の積み重ねでもないし、それが生得的にすべて備わっているはずもない(31)→ 日々発生する「課題」にたいして応答していく能力はどのように形成されるか。

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補足(第2章より)
・「発達」とは何か。
1) ヘーゲルモデル。「そのもの自体」と「意識にとっての対象」。意識が否定を経験して弁証法的に使用されていく。外からの視点(「われわれの視点」)
=当事者が「踏み出して」誤りに気づいたり、正しいかどうかわからず「思わず」成功するような場面が主題化されない。
2) 自己感モデル(スターン)。自分という「まとまり」が組織化されていく。




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・難題
・「行為起動可能性」。明日はできそうだと予期されているが、歩行自体はまだ観察可能でない状態。

・発達段階論の問題点。
障害児になにかが欠けている、停滞していると「観察」すること。
「力が抜ける」という「隙間」の必要性。発達は引き算でもある(減少分化)。切り絵モデル。
・他人の模倣について。見ることがすでに、動作の起動のきっかけとなっている。
・スキー・ジャンプ。「重心を後ろに」と指示するかわりに「100メートル先を見よ」と指示。


参考、キーワード
ヘーゲル精神現象学
ピアジェとワロン
ヴィゴツキー

次回:人見真里
脳性麻痺リハビリテーション
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/4572.pdf
「『ゼロのキネステーゼ』までにーー脳性麻痺児の身体」(『現代思想』2008, 12月臨時増刊号
『発達とは何か』(青土社