廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

2016-01-01から1年間の記事一覧

ドゥルーズ『感覚の論理』問題提起

7の追加 ・感覚が、水準の差異をともない、ある水準から別の水準へ移るのはどうしてか(69-70) 器官なき身体:器官がない=多価的な未規定な(plurivoque et indéterminé)諸器官=時間的移行的(transitoire)な諸器官こうした諸器官は「覚遊病者」のよう…

ドゥルーズ『感覚の論理』7−8

ドゥルーズ『感覚の論理』7−8 7の追加 ・感覚が、水準の差異をともない、ある水準から別の水準へ移るのはどうしてか(69-70) 器官なき身体:器官がない=多価的な未規定な(plurivoque et indéterminé)諸器官=時間的移行的(transitoire)な諸器官こう…

器官なき身体をめぐるつぶやき

器官なき身体は、光を触知しながら、「下へ上り」、「上へ落ち」ながら、呼気と吸気のリズム(収縮と拡散)を響かせる金属的存在だ、と勝手に展開。。。しかしそれを「時間性」ないしは、そこから時間性が湧出する無時間性と考えるためには、なんらかの反省…

自己への気づかいのために

フーコーとともに自己への気遣いを問うとしたら、以下のことを念頭においておくこと1)その気遣いが、「自己認識」とは異なって、どのような自己の変容へと促すものなのか。それが自己が置かれている場そのものの変容をもたらすこと。その場がどのような様…

フーコーの可能性をつぶすいくつかの方法

私はフーコー主義者ではないが、それゆえにフーコーの可能性をつぶすさまざまな言説が気になる。1)初期のフーコーは完全にメルロ=ポンティの「コピー」とでもいうべき立場であった(ビンスワンガー序文、ゲシュタルトクライス、精神医学とパーソナリティ…

先端文化学研究6

コメントより注目点 ・隔離のための輪郭が「多数化する能力をもっている」 感覚の水準の移行→ 「歪形(デフォルメ)」をつかさどる、身体の歪形の動員 ・Figureは「全」が規定する(「全」に通ずる)感覚の形体となる。 個対他の対立ではなく、そのフレーム…

先端文化学研究6:ドゥルーズ(3)

コメントより ・人間性(データ性)排除→個人に関するデータを越えた人間に共通する感覚 ・Figureの消滅の理由 ・土方巽:自閉と解放の間で揺れ動く身体。 ・緊張と収縮。「私自身を捉えて、私自身のなかに閉じこもる世界、世界にみずからを開き、みずからも…

先端文化学研究6:ドゥルーズ:(1)−2

コメントより ・触覚的視覚(haptisch/haptic):2次元的絵画の限界に挑む ・Figureによって具象的・説明的・説話的なものを追い払うこと 何かを説明することを避ける ・「動物になること(devenir-animal)」と動物の神聖化 ・ベーコンの身体は「何か」に吸…

先端文化学研究6:ドゥルーズ『感覚の論理』2

コメントより ・感情なき感覚(痛み、先日)や説明なき行動 ・ひとつひとつの表現は何を意味しているのか→何も意味していない、でよいか。 ・その場からその場への脱走、カオスからfigureになろうとする努力。自分の身体から逃げられないという葛藤。 ・顔を…

先端文化学研究6:ドゥルーズ『感覚の論理』(1)

基本的な問題 1)ベーコン=ドゥルーズのいうFigureは、たんなる「形」「形式」「形態」とどのように違うのか。Figureとその背景の関係は?輪郭は? 2)ベーコンにとって絵画とは、主観的なイメージでも、何かあるものを指し示すイラストでも、物語でもな…

先端文化学研究6:ドゥルーズ『感覚の論理』イントロ

メルロ=ポンティのばあい ・「感性的な世界」と「文化的な世界」の関係という問題 ・それを芸術を媒介に考える(絵画における奥行きや運動表現、彫刻の身体表現、映画など) 何が問題なのか ・感性的な世界はたんなる「カオス」や「刺激」ではなく、自己組織…

メルロ=ポンティと無意識

メルロ=ポンティにおける欲望(欲動)の問題について考えるにあたって最低限おさえておきたいこと1)リオタールのDicoours, Figursの痛々しいまでのメルロ=ポンティ乗り越えの作業の痕跡、 それにたいするドゥルーズのあまりにも断定的な批判の妥当性 2)…

風景の痛さ

奥行きは身体を包み込む、もっと遠くへ、と身体を誘い込む深淵である。過去の強い情動を取り上げ直し、さらに前に進めと命じる風景である。そんな残酷なものがあろうか。サルトルの、ペシミズムを装ったオプティミズム。メルロ=ポンティの、生命の豊饒さとオ…

河本英夫「障害の傍らを通り過ぎる」、『現代思想』(青土社)、vol. 38-12, 2010年10月号。

河本英夫「障害の傍らを通り過ぎる」、『現代思想』(青土社)、vol. 38-12, 2010年10月号。・「障害を生きることの底なしの深さ」(174)。 距離のなさ(自己触発)(cf. 時間意識)。 距離のなさにおける気づき(awareness)。行為のさなかでみずからに出…

木村敏論のためのメモ2:時は流れず

氏の思想である意味もっとも現象学的であるのは「タイミングと自己」という論文である。そこで彼は、時間を三つの位相に分ける。ひとつは「父母未生の生」という時間以前の時間。これは形而上学的前提というよりは、現象学的な記述が深まるにつれて、「なか…

木村敏論のためのメモ

木村敏氏の著作をはじめて講義で正面から扱って印象に残ったのは、私の専門ではない精神医学プロパーの議論でも、その哲学的思索そのものでもなく、ひとりの患者を前にして行為する氏のアクチュアリティである。もちろん哲学的思索も刺激的だが、それをドゥ…

木村敏『からだ・こころ・生命』II-5「医学への主体の導入──二人称の関係の共有」

木村敏『からだ・こころ・生命』II-5「医学への主体の導入──二人称の関係の共有」・他者の死がアクチュアルで主体的な出来事として体験されること → その両義性。過去と未来の境界で起きる出来事・二人称的アクチュアリティ。自他の差異、自他の境界がそれ自…

メルロ=ポンティの「死」についての考え方

自分の生について反省するあらゆる人にとって、自分の生を<私的な意識状態の系列>とみなす原理上の可能性があるのはたしかだ。白人文明の成人はそう考える。しかしそのように考えられるのは、このような日常的で系列的な時間を跨ぐような諸経験を忘れてし…

時間を与える メモ

贈与の主題cf. 「時間を与える」(『他者の言語』法政大学出版局所収)(1) 円環=交換と贈与 マルセル・モース(1872-1950)の「贈与論」:ポトラッチ。贈与の持つ「力」。マナという物の持つ呪術的「力」 レヴィ=ストロースの構造主義:交換のシステムの一…

ドゥルーズにおけるヴァーチャリティと木村敏におけるヴァーチャリティ:リズム論へ向けて

前回の抜粋 1 「生きている」アクチュアリティ 「アクチュアリティ」:「非・不連続性」 ○ なぜ「連続性」と言わず「非・不連続性」と呼ぶか(57-58) → ドゥルーズはこのようなものを「非人称的」で「問題的」(問いを投げかける)で「特異性の生産」を孕ん…

引用のしかた

引用のしかたについて http://researchmap.jp/muvad5cb1-1849043/?action=multidatabase_action_main_filedownload&download_flag=1&upload_id=71068&metadata_id=73369

1 「生きている」アクチュアリティ 問い:現代の自然科学的な医学は、はたしてほんとうの意味で生にかかわっているのか。 ・目的意識と価値観の排除 ・ヴァイツゼッカー「生命そのものはけっして死なない。死ぬのは個々の生き物だけである」(56) ・「生きて…

法の力 序

II-1 時間と記憶、メシア性と神の名 補足: 開け、開在性、開放性(Offenheit) ハイデガー中期の概念。 初期は「現存在≃人間」が本質的に世界や自分の存在可能性について開かれてあること(脱自的) 中期は「存在の開放性」。「存在それ自身が、そのうちで…

あしたのからだ 田中亮介

わたしのからだはここにはいない 真っ白な部屋のちょっとしたはざまにおちこむと みぎてがひっぱられ ひだりてがねじれる わたしのからだはあちこちにいて ひとがなでさすってくる 私が吸う空気のなかにいる悪霊たちそんなからだをみているからだはここにい…

パレルゴン

1)パレルゴン ergon(作品)—外の装飾や主題に関係ない付属物一般。カントは額縁、彫刻の衣服、建築の壮麗な柱廊などをいう。 ・本来は付属物、作品に対して従属的なもの ・しかし金の額縁は「虚飾」と呼ばれ、「真正の美」を損なうとカントは言う。 ・し…

ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』

ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』1) 相即(Kohärenz) 視覚の場合。蝶の運動→視線の移動→頭や、胴体や歩行運動。この運動がひとつの対象を現出させている。 鉄道眼振、読む行為。視界の中であるものに相即を保ち、あるものは犠牲にする。見るとい…

間身体性(つづき)5/9

『からだ・こころ・生命』1−3:「私的間主観性」 コメントより ・そもそも心と体の関係はなぜ問題になるのか。 ・なぜひとは「他者の心」を前提とするか、一般にこころが隠されているとされているのはなぜか。 ・・自分の理解している範囲でしか相手を知覚…

デリダイントロ(つづき)

題名:デリダの思想のエッセンス。「差延の非決定性」から「非決定性の試練における決定」まで 「差延」 ◎ デリダの三重の疎外(疎外なき疎外)=フランスにもアルジェリアにもユダヤ教の伝統にも所属感を感じない。とりわけ市民権を奪ったフランス語のみが…

先端文化学研究5 イントロダクション

題名 : 生命論的展開、生態学的展開とは何か問い:二〇世紀の思想は「死の思想」として展開してきた。ヘーゲルをモデルとした主人と奴隷の弁証法、ハイデガーの「死へと臨む存在」、フロイトの「タナトス」や死の欲動の重視、それらと戦おうとしたレヴィナ…

科学文化論イントロ

題名:フーコーの真理論と統治論──真理と裁判形態主題:「真理と裁判形態(形式)」は、1974年のリオデジャネイロでの講演である。いわゆる『監獄の誕生』が1975年、生ー政治について語る『性の歴史』第一巻が刊行されることを考えれば、この講演は彼の「権…