廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学研究6:ドゥルーズ:(1)−2

コメントより
・触覚的視覚(haptisch/haptic):2次元的絵画の限界に挑む
・Figureによって具象的・説明的・説話的なものを追い払うこと
何かを説明することを避ける
・「動物になること(devenir-animal)」と動物の神聖化
・ベーコンの身体は「何か」に吸い込まれている。その何かとは
シュルレアリスムとの関係
3 闘技(資料未配布)のまとめ
・ベーコンの作品は、観客なき作品、スペクタクルなき作品である
そのかわりにいる人物は目撃者=証人(témoin)である
→ 「Figureはきわめて孤独であり、身体は観客を追い払い、完全に閉じこもる。Figureはもっぱら、みずから閉じる運動、みずからを閉じこめる運動によって孤独になる」(29)

そうして身体は「自分自身のうちに何かを待ち、Figureになろうとして自分自身にたいして努力する。身体は運動の源泉なのだ。もはや問題なのは場所ではなく、出来事である。(中略)私の身体から脱出しようとするのは私ではなく、いわば痙攣であり、つまり神経叢としての身体であり、その努力その痙攣の期待である」(80参照)「いつも身体はその諸器官のひとつを通じて脱出しようとし、単色面つまり物質的構造に合流しようとする」(73)

陰影の存在感:身体から脱出しようとするもの。輪郭にあるなんらかの場所を通じて脱出したからである。ベーコンの叫びは、身体全体が口から脱出するという動作なのである」(63, 6)鏡も同様(45, 63, 67)

身体の努力は自分自身に及ぶもので、したがって歪曲(déformation)は静的である。全身が強度の運動に横断される。歪曲をおよぼす運動は、瞬間毎に、現実的イメージを身体に引き戻し、Figureを形成する。

4 身体、肉そして精神、動物になること
ベーコンにとっては「顔」よりも「頭部(tête/head)が重要であること。
顔:頭部を多う構造化された空間的組織
頭部:身体にほかならない精神、身体的で生命的な息吹、動物生気
→ 顔の解体。顔の背後に頭部を出現させること

歪曲:頭部の動物的特徴(trait:線、顔立ち、特徴)79,52,73:顔を拭くこと(nettoyage.「洗浄」と訳されている)
動物の「形態」というよりは「trait」

人間と動物の識別不可能性(ライプニッツ)、決定不可能性のゾーン 77
人間と動物が共通する事実。人間は彼自身の動物と組み合っている

肉と骨との緊張 78
骨と歯

身体の闘技から肉体のアクロバット

肉に対する慈悲。痙攣的苦痛と脆弱さ、色彩とアクロバット
「画家は教会にいるように肉屋にいる」(磔刑図と共通)3 ベーコンは肉屋において宗教的画家である。

苦しむ人間とは動物であり、苦しむ動物とは人間である(41)革命的な人間は動物的でしかなく、死んでいく仔牛を前にして応答する。

口はもはや特別な器官ではなく、穴になり、身体全体がそこから脱出し、肉体が加工しようとする 7

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