廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

先端文化学研究5:奥行きとキアスム

1) 奥行きについて ・ 物が隠し合うからこそ、それらをそれぞれの位置に見る ・ それぞれの物がその場所にあるからこそ私の眼前でそれらが競い合う ・ 含み合いにおける外在性、自立性における相互依存 ・ これは第一の次元。いろいろな次元の転換可能性の…

先端文化学概論I 5・19 絵画の身体・身体の絵画

第一章 画家とその身体1)アンリ・マティスの「筆」 マティスの「意図」とは自由に「思考する筆」。 ・ 意志とは別の動き。「マティス自身が驚く」 ・ しかし無数の選択肢の中から「選択」は行われる ・ 「手がためらい、思いをこらしたことは本当であり、…

先端文化研究5 5月18日 身体の永続性と「対象」が現れる地

メルロ=ポンティは、このような存在でも無でもない次元のことを「奥行き」「深さ」と呼びます。それは「自分を隠しながら、対象を対象として見せている」ような次元です。これが「対象」にいわば「厚み」を与えており、そしてまた視覚以外の感覚を与えます…

先端文化学概論 5月12日 マティスとその「選択」

ここまでのまとめ:「序説」ダンスの身体の内と外 1) 身体は、運動しながら、外界との境界線を区切り直し続けて、「生きている」。一見まとまった行為は、無数の調整を含んでいる。それを司るのは「行為遂行的イメージ」(河本英夫) 2) ダンスのような…

幻影肢論(まとめ)

5月12日 幻影肢論のポイント 1) 幻影肢は身体の実存の両義性に関係する。実存とは、対象への意識の住み込みであり、「ひと」という様態で存在する。 2) 幻影肢は現前でも不在でもない準現前するもの。無ではなく、「習慣的身体」が世界を目指すあり方に…

自己の身体と他者の痛み

・「痛みは『痛む空間』を構成する。「足が痛い」というのは、「私の足がこの痛みの原因であると思考する」ということではなく、「痛みが私の足から来る」「私の足が痛い」ということである」これが痛みの「原初的ボリューム性」と呼ばれる。(『知覚の現象…

ラングとパロール

1 メルロ=ポンティはパロールの共時態と書いて、ソシュール派の失笑を買ったが、彼にとってパロールは、個人的・現在的でありつつ、「厚みを持った現在」において、「聴き手」を創出する制度化のプロセスであり、これに対立するのはラングではなく、歴史文法…

Je me vois voyantと叫ぶ光

Je me vois voyant. 「自分が見るのを見る」ということは、鏡や自画像で自分の目を見ることではなく、見るという行為を見るということであり、ほとんど不可能な行いであるはずである。「自分が見るのを見る」ことと「見えないもの」を見ることの深いつながり…

先端文化学研究5 5月12日のためのメモ

5月12日 問い: ・動物にも「実存」(Existence, Ex-sistance)はあるということ ・ 幻影肢は「不在」でも「現前」でもない、とは ・ 幻影肢と時間性の関係 ・ 幻影肢という出来事が「起きる」ことのリアリティ。「ある内容を持った過去の記憶。」 ・ 一般に…