廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

2015-01-01から1年間の記事一覧

まとめ1

学生のコメントとコメントについてのコメントの合作コメントを受けて・これまでの授業で示したかったのは、身体の運動、身体と道具との関係が、たんなる身体の訓練ではなく、すでに持っている「思考回路」そのものをも変えることである。主体と客体や道具は…

オートポイエーシスとダンス

オートポイエーシス autopoiesis(河本英夫『岩波 哲学・思想事典』)・神経生理学者マトゥラーナ、ヴァレラにより着想。社会学者ルーマンが一般システム論に活用 1) システム理論:要素の集合を決定、それらの関係をマクロに記述 2) 自己組織システム:…

『『眼と精神』11月26日

コメントより ・「私たちは世界そのものを見る」「私たちは、(あくまで)私たちが見ているもの(しか)見ていない」= このあいだの「裂け目」 ・ナルシシズムによって自分が浮き彫りになる。それは浮き彫りでしかないか?→ 「内感」「受動的綜合」 ・メル…

「『眼と精神』12月8日

・外部の内部、内部の外部。絶対値の関係? ・絵の完成とは、外部の内部化と内部の外部化が幾度となく繰り返された末の収束点 ・イメージは現実を「見えるようにする」のか or 「現実を変形して見えるように仕向けているのか」 ・他者の仕草の「読み取り」=…

仮面の現象学

コメントより ・ニヒリズムや懐疑論に対する「足場」としての「おもて」。カオスの中に自と他を見出し、両者の交錯が根源的な基盤を立ち現れさせる。 ・「おもひ」:意識して感じることではなく、人間性や意識を排して、カオスの中から方向付けられたもの。 …

仮面のリヴァーシビリティ

先週のまとめ ポイント: 国立近代美術館の小展覧会『てぶくろ ろくぶて』を紹介しながら、哲学者モーリス・メルロ=ポンティの「可逆性(reversibilité)」の概念を紹介。テーマ。 1)「モノ」の世界との出会い、「モノ」からの働きかけ。手を媒介とする「…

『眼と精神』3 自己を動かす身体の気づき

構成: [6]-[10] :身体が見る者であると同時に見える者であるというパラドックスの説明 [11]- :絵画論。「絵画の世界は、見えるもの以上のなにものでもなく、部分的でしかないのに完全なものなのだから、ほとんど狂気の世界である」(86)[5]-[10]:「私の…

『眼と精神』2:見る者であると「同時に」見えるものであること

コメントより ・ 夢幻的身体:身体動作における残像。動作をリードする身体とその後に続く身体が同一個体として連動していく→「行為遂行的イメージ」(河本英夫)。行為と認識が結び合うイメージ。 ・ 他者の身体だけでなく、イメージ、言葉、音楽も私に「と…

先端文化学研究6

『眼と精神』 モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty) (1960)の作品 モーリス・メルロ=ポンティ(1908-1961) • 初期の代表作『知覚の現象学』 • サルトルと共に実存主義者として活動 • サルトルが共産党に接近するとともに、訣別 • 一九…

ダンスと音楽的本質:先端文化学研究5 7月23日

コメントより ・ ダンスの運動習慣について。観客が生で触れるか、メディアを通すか ・ 「音楽的本質」の本質とは。→ 行動の「価値」「意味」。概念でも固体でもない。 ・ ピアノの叫び「今までどうやって弾いていたんだっけ」と意識した瞬間、習慣を喪失。 …

レポートの書き方3−4年生バージョン

参考資料:レポートのコツ(3−4年生バージョン)レポートの書き方については、いろいろな本が出ていますが、実は学問分野、対象領域(日本か、英米か、その他か)について大きな差異があり、各授業での資料を参考にしたり、教員の指示を待ったりしたほうが…

先端文化学研究V ベーコンまとめ

フランシス・ベーコン(Francis Bacon):1909-92ダブリン生まれの画家 問い: ・ 主題の暴力性でもなく、生な身体性でもないような、「感覚の力」はどのようなものか ・ イメージが凝縮されたり、変換されたりする。これはどのような操作か? ・ 即興とはこ…

先端文化学研究5:7月7日:奥行の探究の意義

コメントより ・ <フォリ・ベルジェールのバー>のずれが何を表現しているか。 → (仮説)従来の遠近法絵画は、動かない一点からみた、理念化(幾何学的)な空間表現を実現し、同時に鑑賞者の視点をも指定するものであった。遠近法が歪み、空間が歪んだ絵画…

先端文化学研究5:正夢と知覚的・情動的・夢幻的意識(2015.7.6)

1) 『知覚の現象学』:「性的存在としての身体」 ・ 「世界における存在様態」として性的存在(情動)を捉える。 ・ 身体図式と同じように、「エロス的知覚」は「世界」においてなされる。ポイント: 1) 身体は、他者との関係において、強い情動的な志向…

先端文化学研究5:自己の身体の総合(6月29日)

「自己の身体の総合」(『知覚の現象学』、pp. 247-255)[晩年の身体論=二重化の問題] 晩年の遺作『見えるものと見えないもの』において、メルロ=ポンティはしばしば「見る者」の二重化、「見えるもの」の二重化について語っている。私の身体ともろもろの…

先端文化学概論I1 6月30日

コメントより: ・ 絵と写真の違い。身体性の有無。→ 写真の身体性、映画の身体性?? : 写真の影響、写真に対する絵画の独自性 ・ 催眠療法と芸術の関係:影響関係か、同時代性か。 ・ キャンバスに収まる以上のものを語りたいということか。 ・ 鏡と空間の…

先端文化学概論 6/22

マネ:遠近法絵画のゆらぎ クレーリー『知覚の宙吊り』(平凡社)の文化史的な解釈を中心に マネ • ・19世紀フランスの画家 • 印象派のリーダー的存在であったが、その作品はかならずしも印象派的ではない。「マネは以後のすべての絵画を可能にした」(フーコ…

先端文化学研究小レポート

小レポート課題「自己の身体の総合」a. まずはメルロ=ポンティのテクストを熟読して、引用しながらまとめる。以下のひとつに答えるというよりは、二つ、三つくみあわせてひとつのまとめを作るとよい。 1)p. 247. l. 10「始元的空間」について。この空間が…

総合科目:見えるものと見えないもの 2015/6/15-22

• 『見えるものと見えないもの』──絵画を通して見る身体性○ クイズ • 「見る」と「見える」の違いは何か。 • 「さわる」と「ふれる」の違いは何か。授業で考えたいこと ・ 「見える」の世界。 ・ 「私が見る」のではなく、からだ全体で世界に住み込み、さま…

先端文化概論 西欧的遠近法とその臨界

・ パースペクティヴ(線遠近法、一点透視図法)は、3次元の空間を1次元のキャンヴァスにつなぎとめる技法として、きわめて自明な表現方式だと考えられている。 ・ しかしながら、この技法は1400年代のとりわけイタリア周辺において発明された「世界観」「身体…

先端文化学V 6/8 転換可能性と身体の総合

転換可能性、反転可能性についての補足。 ・ 受動と能動のオーヴァーラップ ・ 能動的なものと受動的なものが交差・反転する ・ 能動的なものが受動的になるときはどういうときか:自由に動いていたものが、みずからの重みを感じるとき、物の「きめ」に触れ…

先端文化学研究5:奥行きとキアスム

1) 奥行きについて ・ 物が隠し合うからこそ、それらをそれぞれの位置に見る ・ それぞれの物がその場所にあるからこそ私の眼前でそれらが競い合う ・ 含み合いにおける外在性、自立性における相互依存 ・ これは第一の次元。いろいろな次元の転換可能性の…

先端文化学概論I 5・19 絵画の身体・身体の絵画

第一章 画家とその身体1)アンリ・マティスの「筆」 マティスの「意図」とは自由に「思考する筆」。 ・ 意志とは別の動き。「マティス自身が驚く」 ・ しかし無数の選択肢の中から「選択」は行われる ・ 「手がためらい、思いをこらしたことは本当であり、…

先端文化研究5 5月18日 身体の永続性と「対象」が現れる地

メルロ=ポンティは、このような存在でも無でもない次元のことを「奥行き」「深さ」と呼びます。それは「自分を隠しながら、対象を対象として見せている」ような次元です。これが「対象」にいわば「厚み」を与えており、そしてまた視覚以外の感覚を与えます…

先端文化学概論 5月12日 マティスとその「選択」

ここまでのまとめ:「序説」ダンスの身体の内と外 1) 身体は、運動しながら、外界との境界線を区切り直し続けて、「生きている」。一見まとまった行為は、無数の調整を含んでいる。それを司るのは「行為遂行的イメージ」(河本英夫) 2) ダンスのような…

幻影肢論(まとめ)

5月12日 幻影肢論のポイント 1) 幻影肢は身体の実存の両義性に関係する。実存とは、対象への意識の住み込みであり、「ひと」という様態で存在する。 2) 幻影肢は現前でも不在でもない準現前するもの。無ではなく、「習慣的身体」が世界を目指すあり方に…

自己の身体と他者の痛み

・「痛みは『痛む空間』を構成する。「足が痛い」というのは、「私の足がこの痛みの原因であると思考する」ということではなく、「痛みが私の足から来る」「私の足が痛い」ということである」これが痛みの「原初的ボリューム性」と呼ばれる。(『知覚の現象…

ラングとパロール

1 メルロ=ポンティはパロールの共時態と書いて、ソシュール派の失笑を買ったが、彼にとってパロールは、個人的・現在的でありつつ、「厚みを持った現在」において、「聴き手」を創出する制度化のプロセスであり、これに対立するのはラングではなく、歴史文法…

Je me vois voyantと叫ぶ光

Je me vois voyant. 「自分が見るのを見る」ということは、鏡や自画像で自分の目を見ることではなく、見るという行為を見るということであり、ほとんど不可能な行いであるはずである。「自分が見るのを見る」ことと「見えないもの」を見ることの深いつながり…

先端文化学研究5 5月12日のためのメモ

5月12日 問い: ・動物にも「実存」(Existence, Ex-sistance)はあるということ ・ 幻影肢は「不在」でも「現前」でもない、とは ・ 幻影肢と時間性の関係 ・ 幻影肢という出来事が「起きる」ことのリアリティ。「ある内容を持った過去の記憶。」 ・ 一般に…