廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学研究小レポート

小レポート課題「自己の身体の総合」

a. まずはメルロ=ポンティのテクストを熟読して、引用しながらまとめる。以下のひとつに答えるというよりは、二つ、三つくみあわせてひとつのまとめを作るとよい。
1)p. 247. l. 10「始元的空間」について。この空間が身体の存在そのものと合一しており、客観的空間性はその外皮だというのはどういうことか、これまでの文章からまとめてください。(この段落で「幻影肢」の例が出ていることなども考慮)
2)p. 248, 第二段落。「身体の統一性における含み合い」について。視覚、触覚、運動の総合のあり方についてまとめ。「等価」「意味」「意のままになる」など。
3)p. 249. 自己幻視の例は、身体のどのような特徴を現しているか、本文の言葉を要約しながらまとめる。
4)p. 250. l. 8. 「私は私の身体である」l. 13. 「身体はみずから自己を解釈する」最終行「手の所作のあるスタイル」とは(具体的に、理論的に)どういうことが、本文の言葉を敷衍しながらまとめる。
5)p. 251. l. 2「身体は芸術作品に比較される」とはどういうことか。4を使用してまとめるか、これ以後の具体例を参考にまとめるか、あるいはその両方か、工夫して説明しなさい。
6)p. 251. 詩が浮かび上がらせる「第二の存在」(l. 8)とはどういうものでしょう。「実存の転調」という言葉を具体的に説明する。そして5)の身体論との関係について戻ってもよい。
7)p. 252. l. 1- 小説の例について、「何の観念的注釈も加えないで、人間間の出来事を提示し、成熟させ、破裂させる」とはどういうことか、説明し、(1)身体論に戻る(2)自分の読書経験に戻る。
8)p. 252. l. 8.「表現と表現されるものとを区別できないような存在」とはどのような存在で、それはどのような「意味」を持つか。
9)p. 253. 後ろから2行目。「杖は盲人の知覚する対象ではなく、それでもって知覚する道具だ」とはどういうことか。それと「身体的総合」との関係。
10) p. 254後半。色の例。最終行。眼が、盲人の杖と同じく「自然的道具」であるとはどういうことか。そのあとの「身体の新しい使用法」「身体図式を豊かにすること」などにも注目。(先週のプリント『眼と精神』の色の例と比べてもよいでしょう。
11) p. 255. 最終行の意味について。自由にコメント。
b) 以上のように、まとめたうえで
1) まとめたことの自分なりの展開可能性を提示する。
2) 自分の研究分野、関心のある主題との関係づけをする(レポートでは具体的な資料を探索する)
3) 自分なりのインスピレーションを可能なかぎり客観的に記述
4) 他の身体論との比較対照。
注意:他の授業の材料は使わないこと
c) そのうえで
a)のまとめに戻り、簡単に結論する。


次回
「性的存在としての身体」
拙論「実存・無意識・制度(精度と誤植)」参照
http://www.asahi-net.or.jp/~dq3k-hrs/PDF.htm
または「廣瀬浩司」「フランス思想と現象学」で検索し、「論文」→「博士論文以外の電子ファイル」で「メルロ=ポンティ論3」