廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

総合科目:見えるものと見えないもの 2015/6/15-22

• 『見えるものと見えないもの』──絵画を通して見る身体性

○ クイズ
• 「見る」と「見える」の違いは何か。
• 「さわる」と「ふれる」の違いは何か。

授業で考えたいこと
・ 「見える」の世界。
・ 「私が見る」のではなく、からだ全体で世界に住み込み、さまざまな物に回りを取り囲まれながら、それをいわば空気のように吸い込んだり、吐き出したりする。
・ ・そのうえで、自分なりの世界を構築していく。
・ → 芸術家はまさにこのような世界に生きているのではないか。

セザンヌ
1. モネ(1840-1926)は目に過ぎない、だが何と偉大な目であることか(セザンヌ
2. 「私が風景を見るのではない。風景が私を通して自分を見るのだ」(セザンヌ
3. 「森の中で何度か私は、私が森を見ているのではないようにかんじた。ある日のこと、木々こそが私を見、私に語りかけてくるように感じた。。。私が思うに、画家は世界に貫かれなければならず、それを貫こうと思ってはならない。。。私は内側から沈み込み、はまり込むのを待つ。私はおそらく立ち現れるために描くのだ」(エルンスト)
4. セザンヌの絵画:色彩がかたちより優位
5. というよりは、色彩が相互にコントラストを作り出して、おのずから「かたち」を作り出していく。
メルロ=ポンティの「奥行き」概念:
1. 幅、高さと並ぶような単なる3次元ではなく、むしろ私たちのからだを包み込むような「奥行き」は、第一の次元である。
2. そこでは物たちが、私たちの目を奪い合うかのようだ。「重奏する奥行き」
3. 物たちはしりぞけあいながら、互いにオーバーラップする。

1. どこにも中心がないのに、どこから始めても統一感のある世界。中心はどこにでもあり、どこにもない。
2. このような意味での「奥行き」は私たちは見ないですませてしまっている。(遠近法に教育されてしまっている)
3. この「見えないもの」を「見えるようにする」こと。

ポイント
• この「見えないもの」は、たんに隠されたものではない。むしろ物たちの間にあって、見えるものの一部をなしている。
• この「見えないもの」が媒体となって、いわゆる「対象」が見えてくる。あるものが「そこにある」という存在感とリアリティ

• 前回のまとめ
セザンヌにおける空間。セザンヌは、あらゆる感覚を通して風景を受け止める。あたかも風景に見られ、触られ、匂いと光に埋もれるようにして。だがそのカオスの中に、彼は「何か」を捉え、その「何か」を中心にさまざまなコントラストと歪みによって、かたちを作り出していく。あたかも世界がそこで生まれ直し、身体も同時に生まれ直すかのように
・ 奥行き=深さの空間。物がしりぞけあいながら迫ってくる。その「現前感」「切迫感」。この普通の視覚では見えないものを見えるようにすること。
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クイズ
• 1)眼で触れることを求めてくる絵画。「・・に触れること」との関係は?
• → では、このことは触覚についてどのような問題を提起するか??
• 「さわる」と「ふれる」の違いは何か。
1. 「さわる」=touchされるものを「対象」「客観的」にとらえる能動的行為。触るという「意図」に基づく。
2. 「ふれる」=「・・にふれる」。Touchされるものを「対象」として捉えるのではなく、むしろ「ふれられる」からだの感覚を表現。

• 「・・・に触れる空間」はどういうものか。
• 1)たんに対象に触れるのではない→ むしろ「対象」とはやや「距離」をもって、さわられる「もの」をリスペクトするような触覚。(cf. 「法にふれる」「気がふれる」「気にさわる」)
• 2)だがだからこそ、たんに「触れる」こと以上に、物たち、他者たちに深く浸透するような触覚。
• 「ふれるという体験にある相互嵌入の契機、ふれることは直ちに触れ合うことに通じるという相互性の契機、あるいはまたふれるということが、いわば自己を越えてあふれ出て、他者のいのちにふれ合い、参入するという契機が、さわることの場合には抜け落ちている」(坂部恵『「ふれる」ことの哲学』)
• 触れること:たえず近づこうとしながら、対象として意図的に摑むことはできない。漸近線的にしか近づくことはできない。
• にもかかわらず、そうした摑もうという「意志」や「意図」を捨てたとき、束の間であれ、深い交流があるのではないか。(自己)は「他者」になる、のではないか。
• 自己と他者の「転換可能性」(メルロ=ポンティ)。
• 他者を摑もうとする手が、その「意志」を捨てたとき、いわば外にさまよい出て、物のひとつになり、触れられるもののひとつとなることで、「ふれ合い」が束の間生じる。
• しかしこれは他者と融合することでなく、「ふれえないもの」を介して、自他が相互に交換し合うこと。
• 「わたし」と言おうと言うまいとどちらでもいいような世界(ジル・ドゥルーズ

ジャコメッティの手と眼
ジャコメッティ:スイス生まれの20世紀の画家彫刻家
• 初期はパリのシュルレアリスム運動に参加
• やがて運動から離れ、対象の「リアリティ」にかぎりなく迫ろうとする。

1. 対象に近づけば近づくほど、対象は小さく細くなる。
2. だがその小ささ、細さが、私たちのからだの奥底に突き刺さってはこないだろうか
3. 距離ゆえの近さ、近さゆえの距離

• まとめ
• 1)遠近法的な幾何学空間とは違う空間の探究
• 2)たんなる受動性ではなく、身体で風景全体を受け止めたうえで、立ち上がること
• 3)奥行き=深さ。物たちがオーバーラップしながら迫ってくる空間
• 4)「ふれること」=たんに「対象にさわる」こととは違った、身体の相互陥入。
• 5)近さと遠さの緊張関係における、出会いの瞬間


参考文献
メルロ=ポンティ、モーリス
『眼と精神』(みすず書房、武蔵野美術大学出版会)
『知覚の現象学』『見えるものと見えないもの』(みすず書房
坂部恵『「ふれる」ことの哲学』(岩波)