廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

自己の身体と他者の痛み

・「痛みは『痛む空間』を構成する。「足が痛い」というのは、「私の足がこの痛みの原因であると思考する」ということではなく、「痛みが私の足から来る」「私の足が痛い」ということである」これが痛みの「原初的ボリューム性」と呼ばれる。(『知覚の現象学』初版、p. 110)。
・ 意識はこの「情動的地」に投げ出されており、「対象」はその地の上でしか射影しない。このように身体は原初的な「ここ」にあるが、同時に、対象以前の「そこ」に意識を投げ出すものでもある。そのようにして身体は対象が構成される根拠である。
・「ここ」と「そこ」の間の厚み。それゆえ「そこ」は「ここ」を触発し、意識は「そこ」に「ある」。このような両義的ないしは媒介的なものが「身体図式」「身体の根源的制度化」と呼ばれる。制度は「どこにもあり、どこにもない」。この次元から「再制度化」を考えること。
・世界における「ぼろきれ」のような切れ端が、「世界の痛み」として身体の「ここ」に突き刺さる。「ここ」はいわば「魔術的」なやり方で、どこにもない「そこ」に「同時に」あることで、あやうい均衡を保つ。
・同じように他者の痛みを引き受けることは、「痛む存在」として、ある世界全体に浸透することである。