廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学V 6/8 転換可能性と身体の総合

転換可能性、反転可能性についての補足。
・ 受動と能動のオーヴァーラップ
・ 能動的なものと受動的なものが交差・反転する
・ 能動的なものが受動的になるときはどういうときか:自由に動いていたものが、みずからの重みを感じるとき、物の「きめ」に触れ、「物そのもの」に触発されるとき、ものに見られるとき、他者に見られるとき。。
・ 受動的な「もの」に能動が「芽生える」のはどういうときか:いままで存在しなかった「探索の領野」が開けるとき、新しい運動習慣が獲得されるとき、身体図式が組み替えられるとき。
・ 能動と受動はしかし「融合」しない。それらを反転させる「蝶番」が身体のどこかに「隠されている」。手袋が反転する「無」。しかしこの無が現れるとき、同時に身体の「肉」が過剰なものとして活動する。新しい「物」の意味の経験、それにともなう身体図式の組み替え。

IV事故の身体の総合
注目してほしい点
・ 身体的総合とはどういうものか。248-9.「これらすべての運動は、その共通の意味を出発点として、われわれの意のままになるものだ」
・ 自己幻視の例の意味。内部の目(249)
・ 「私は私の身体である」(250)「身体はみずから自己解釈する」
・ 「手の所作のスタイル」
・ 詩的言語とは(251)
・ 小説の原語とは(252)
・ 我々の身体は芸術作品と比較できる(252)
・ 杖を「意のままにする」こと(253)
・ 色彩の例。
・ 最後の文の意味(255)