廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学研究5 5月12日のためのメモ

5月12日
問い:
・動物にも「実存」(Existence, Ex-sistance)はあるということ
・ 幻影肢は「不在」でも「現前」でもない、とは
・ 幻影肢と時間性の関係
・ 幻影肢という出来事が「起きる」ことのリアリティ。「ある内容を持った過去の記憶。」
・ 一般に記憶は、「脳内の痕跡」であるか、現在からの再構成(過去の現在による意味付け)だとされる。またサルトルは、「想像力」とは「不在の現前だ」とした。イメージは主観的なものではなく、「不在」なものを不在なものとして「目指し」、それをたしかに「現前」させながら、同時に「無化」している。
・ だがメルロ=ポンティは、幻影肢という「現前」と「不在」の間の経験(準—現在)を、身体という過去のほうに深めていく。「欠損に出会いそうになる場所はどこかをあらかじめ知っている」→ この場合「知っている」とはどういう「知り方」だろう?? 「ひと」が持つ習慣的記憶とは?
・ それは、脳内の痕跡だけでもなく、また数学的な永遠性でもない、傷つければ傷つくこの身体の「肉」を媒体として、「ふと蘇ってくる過去」「思い出そうとしても思い出せない過去」の「永続性」について語っているように思われる。
・ さらに「すぐ前の出来事なのに忘れてしまうこともあり、ずっと前の出来事を覚えている時間の「歪み」」。時間は「形式」ではなく、質料的厚みを持って経験される。時間の肉。
・ 時間論:点としての現在でもなく、無時間的なもの(数学的イデアなど)でもない「第三の次元」。「厚みをもった現在」「垂直的現在」
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「過去を把持するとは、離れて持つことである」(『知覚の現象学』「時間性」の章。)この距離に時間の「厚み」がある。