廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学研究6:ドゥルーズ『感覚の論理』2

コメントより
・感情なき感覚(痛み、先日)や説明なき行動
・ひとつひとつの表現は何を意味しているのか→何も意味していない、でよいか。
・その場からその場への脱走、カオスからfigureになろうとする努力。自分の身体から逃げられないという葛藤。
・顔を拭うこと、頭部を認識させるだけでなく、痕跡をたどること
・頭部を描くことで顔を解体するという逆説
・虚栄心
・témoin(証人)はスペクタクルがお呼びでないこと
動物生気(esprits animaux)
アリストテレス:生命生気と空気の混じり合った流体
ガレノス:随意運動と感覚的認識に関係
ウィリス:神経の機能を担う微細な成分
デカルト:心身を合一させる。
問い1:そもそもなぜ顔を解体するのか?
・頭部を引き出し、顔なき頭部を個体化し、規定する(p. 36)
問い2:肉と骨の緊張は何をもたらすか。
磔刑
問い3:肉に対する慈悲とは?

「苦しむ人間とは動物であり、苦しむ動物とは人間である。これは生成変化(devenir)の現実性である。」=芸術、政治、宗教、政治などで感じられる極限の瞬間

頭部—肉の関係は、強度の諸段階をかけめぐる。

5 要約的注釈
動物への生成はより深い「知覚不可能な生成へと向かう一段階」(p. 45)
・叫びの彼方の微笑(3,65)p. 45-
時代区分
1) 正確なFigureと鮮やかで硬質な単色の対立:構造からFigureへ。隔離
2) カーテンに蔽われた「絵画的」形態。Figureから構造へ。輪郭は洗面台、傘、鏡。Déformationの手法。収縮、膨張する身体。動物への生成。
輪郭は「人べらし役」。脱領土化(déterriorisation)」膜としての輪郭(p. 51)(81)
拡張と収縮の「リズム」=あらゆる運動の共存。
3) 平塗りの地、部分的な縞、ブラシ、ぼかし
4) 図像の消失「Figureは予言を実現して消失した」

2)補足(
・「隔離」の手法から「カーテンの襞」の手法へ(16, 11)
宇宙的散逸。
閉じられているが限りがない
ぼかし、陰影の戯れ(絵画的malerisch)な処理(シルヴェスターによる第二期)

6 絵画と感覚
現象学的感覚論によるベーコン(アンリ・マルディネ)。ただしこの分析は7において不十分とされ、「器官なき身体」という概念が導入される。

「感覚を描くこと」「感覚を実現すること」(セザンヌ
「感覚とはひとつの<秩序>から別の<秩序>への、ある水準から別の水準への移行だ、とベーコンは言う。具象画も抽象画もひとつの水準にとどまってしまっている。

おのおのの感覚が、異なる水準、異なる秩序、いくつかの領域に位置する。「唯一の同じ感覚に属するもろもろの秩序が存在する。

感覚の諸水準とは何か
1) 具象ではない。「法王自身は何も見ることなく、不可視のものを前に叫ぶ」
暴力的な絵画ではなく、感覚の暴力=神経系統に対する直接の作用。感覚が通過するもろもろの水準、感覚が横断するもろもろの領域」
2) 愛情と憎悪、といった感情の両価性ではない。
3) 運動。キュビスム未来派デュシャンの<裸体>
→ ベーコンにとって運動よりも「感覚の可塑性」が重要。運動の彼方の不動性。その場での痙攣。身体に対する不可視の力=リズム。
諸感覚の根源的な統一性。
拡張と収縮=「私自身を捉えて私自身のなかに閉じこもる世界、世界にみずからを開き、みずからも開く私」(p. 63)。

「頭脳においては悲観的、神経においては楽天的」(ベーコン)