廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

法の力 序

II-1 時間と記憶、メシア性と神の名
補足:
開け、開在性、開放性(Offenheit)
ハイデガー中期の概念。
初期は「現存在≃人間」が本質的に世界や自分の存在可能性について開かれてあること(脱自的)
中期は「存在の開放性」。「存在それ自身が、そのうちで存在者が存在者として明るみにもたらされ現前してくる開かれた場としてみずからを与える」:存在者が現れてくる場。そのとき人間もそのような本質を受け取る。

生き生きとした現在(lebendige Gegenwart)
フッサール後期時間論の概念。
・私たちが物を知覚するとき、それは「現在」の知覚
・この現在は「過去把持」と「未来予持」の地平に取り囲まれ、それと融合している。

・このような「現在」はどのようにして可能になったのかをさらに問う。時間に先立つ超越論的主観性の時間性。
・生き生きとした現在:「立ち止まりつつ、流れる現在」
たえず「今」である(立ち止まり性、恒存性)と同時に「非—今」へと流れていく。
この二つの側面を統一するのが「生き生きとした現在」。

「生き生きとした現在の謎」
・「流れること」の受動性。流れが「主観性」の一部。主観は、それが流れてしまった後で、「遅れて」気づく。主観に先立つ「匿名的」なもの
・流れは「非同一性」をもたらす。自己と自己の「距離」があるのに「同一の自我」であるのはどういうことか。
・「生き生きとした現在」はそれ自体は時間を可能にするから時間的ではない。
Cf. 『現象学事典』(弘文堂)、ヘルト『生き生きした現在』(北斗出版)

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II-2 肯定的な脱構築
テクノロジー:自然な身体と呼ばれるものの「現在」にも、テクノロジー的なものが入り込んでいる。文字もそうだが、身体の欠如を補うさまざまなテクノロジー、メディアなど

テクノロジーについてのデリダの両義的な態度(92-93)
・一方でテクノロジーは「死」「反復」に関係
・他方で、肯定、希望、メシア性と関係
→ テクノロジーを拒絶することなく、テクノロジーに葬り去られないこと。「責任」。
「最も予測できない未来は、過去のなかに隠されているかもしれない」「超過去」「記憶不可能な過去」=「来たるべきもの」

II-3 正義、植民地化、翻訳



「法の力」(1994)
・「法」計算可能なもの、規則の体系、改善可能なもの
・正義:計算不可能、予測不可能な他者の到来に無限の「責任=応答可能性」をとる
3つのアポリア
1) 行為が正義であるためには、規則から自由でありつつ、法や規則に従う。決断の瞬間には、規則に従うと同時にそれを逃れる
2) 決断不可能性の決断。決定=決断不可能性の試練を経て、不可能な決定をおこなう、積極的に行動すると同時に、「あたかも他者から来たかのような」決断をおこなう
3) メシア主義なきメシア性。他者に対する無限の責任への開け。しかし、正義にかなった決断は、即座にこの場で、いかなる予期や期待の地平もなしに行われなければならない。