廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

パレルゴン

1)パレルゴン
ergon(作品)—外の装飾や主題に関係ない付属物一般。カントは額縁、彫刻の衣服、建築の壮麗な柱廊などをいう。
・本来は付属物、作品に対して従属的なもの
・しかし金の額縁は「虚飾」と呼ばれ、「真正の美」を損なうとカントは言う。
・しかし「作品」が完璧ならば、そもそも「付属物」は不要なはず。付属物は、離れがたいものとしてまとわりつく。もしこれがないと「作品」に欠如があることを示してしまう。いわば外部が内部にひそかに入り込んでいるかのように。
・だからこそカントは、「真正の美をおびやかしかねない」という地位を与える。
・それに対しデリダは、パレルゴンこそという「外部」こそが、内部の内部に呼び出され、内部を内部として構成する、という。
・このときパレルゴンは、たんなる物質としての額縁というよりは、内部と外部のヒエラルキーを掘り崩すような、ひそかな働きとして考えられている。枠のきしみ。作品そのものでもなく、額縁そのものでもない。作品の「現前」でも「不在」でもない。
・この現前でも不在でもないものをデリダは「亡霊」と呼ぶ。ある領域の内部にはじめからいて、つねに回帰する→「メディアの亡霊たち」

補足:
・同じことを「自然な身体」=「正常な身体」についても応用できないか。
・「国民国家」の内部と外部。
・パレルゴン的な存在としての移民、難民(市民権を持たない人たち)。

参考文献『西洋美術研究』No.9
http://www.sangensha.co.jp/allbooks/swa.htm

2)メディアの亡霊たち
マルクスの亡霊』
・亡霊:生きても死んでもおらず、現前的でも不在でもない。痕跡と同じ。自分は見えないが、私たちを見ていて、私たちに「取り憑く(obsess)」。デリダにとっては、これは「自己」「内部」「国民国家の市民」などに先立つ存在である。
・「喪の作業」「私たちはたえず喪に服し、喪を経験しています」喪の作業をおこないながら、「痕跡」を残し、それを政治的なものに結び付ける(『マルクスの亡霊』)→「喪」については次節参照。

○メディア論への応用
・ヴァーチュアルな亡霊の増殖、世界化
・「ライブ・レポート」の「現在性」の批判、異質性の導入。
・コスモポリタニズム(世界市民主義。カント「永遠平和のために」)を越えた「新しいインターナショナル」。「市民性」「国民国家」への「所属」を越えた連帯。

3 時間と記憶、イントロ
ロイド
・「差延」。現在の優位に対する批判。現前の形而上学
・「不可能な喪」の概念→他者に対する友愛と責任。
・「メシア(救世主)的」構造。Cf. ベンヤミン「歴史の概念について」
・時間、喪、悲嘆、責任、赦し
・「不可能な喪」:思考は自分自身の限界の圧力を押し返し、おのれと正反対のものに変貌する。(p. 65)「他者の内面化によって失敗し、失敗することによって成功する」
・社会的記憶とは何か。
・「意識のメシア的構造についての考察は、私たちが不確実性を持ちながら、もっと建設的に生きることに役立つのか」(p. 66)
・神の名について