題名 : 生命論的展開、生態学的展開とは何か
問い:二〇世紀の思想は「死の思想」として展開してきた。ヘーゲルをモデルとした主人と奴隷の弁証法、ハイデガーの「死へと臨む存在」、フロイトの「タナトス」や死の欲動の重視、それらと戦おうとしたレヴィナスやデリダの思想がそれである。それに対して二〇世紀末からは、生命論的な転回、生態学的転回と呼ばれる運動が生まれてきた。「生命のアクチュアリティ(現在性)」を基本にする思想が再評価されてきたのである。そこで本講義では、木村敏の生命論から出発し、生命論の可能性をさぐる。
議論の背景:生命論は、ドイツロマン派に源泉を持ち、二〇世紀初頭に、一九世紀のカント的な講壇哲学やヘーゲル歴史哲学への反動から生まれてきた。
ディルタイ、ニーチェ、ジンメル、ベルクソン、大正生命主義、ドリーシュの生気論
・固定した存在より「生成」
・形式より内面的充実
・「生きられた経験」や「共感」の重視
・理性よりも感情、直観
→ 生命そのものに内在する原理で生命を記述すること。「生をそれ自身から理解」。内側から知られた知。生のはかなさ、もろさ、深さや暗さ、非合理性、有限性などを直視すること。
◯ 表現主義の芸術、神秘主義の流行、動物行動学(ユクスキュル)などと連動。
→ ナチズム、ファシズム以降、とくにドイツにおいてはこれらは「非合理主義」として退けられる。ハーバマースの「コミュニケーション的行為の理論」、サルトルの「ヒューマニズム」、構造主義の「言語論的転回」。。
非合理主義に陥ることなく、どうやって「生きていること」そのものを語ることができるだろうか。メルロ=ポンティはあるところで、以下のように言う。
「ひとは一人で死ぬから一人で生きる」という帰結はおかしい。主体性とは何かを定義するときに、痛みや死だけが参照されてしまうと、他者たちとの生、世界における生は不可能になってしまう。もちろん世界の魂とか、集団やカップルの魂を想定し、私たちはその道具であると考えてはならない。むしろ<根源的なひと>を考えなくてはならない。これは固有の本来性をもっており、けっして消えることなく、成人の強い情動も支え、ひとつひとつの知覚が私達の内で経験を更新してくれる。」メルロ=ポンティ「哲学者とその影」、『シーニュ2』所収。
わたしたちが何か新しいものを見るとき、そこに「生まれつつある意味」、その意味とともに経験される「生」、こうした意味での意味について考えてみたい。
方法:
1)まずは精神病理学者木村敏の「からだ・こころ・生命」を読み、問題の輪郭を共有する。
木村敏(1931-)。精神病理学者。人間学的精神医学から臨床哲学へ。『時間と自己』でうつ病、分裂病、てんかんの時間経験の構造を分析。「あいだ」:何かと何かの間ではなく、そうした何かを生み出す差異。自己の時間性、他者関係を深めたのち、生命論へと移行。哲学的にはヴァイツゼッカー、西田幾多郎、ドゥルーズの影響が大きい。
・心身二元論の問題
・「境界」としての生
・ヴァイツゼッカー
・環境との「相即」
・個体の生と集団の生
・生きていることのアクチュアリティ
・医学の意義
2)その後に、学生の関心も考えつつ、他のテクストに移行する。
最終的にはドゥルーズ「内在ーーひとつの生」を解読し、まとめとする予定。
結論の見通し(仮説)
・二一世紀にふさわしい生命論は何か。それは「生命のエネルギー」などといった神秘的なものであってはならないだろう。メルロ=ポンティは、生命とは、間接的にしか現れないものであり、感覚的な世界においてひそかに働いている「感覚し得ないもの」だと考えた。それは私たちの現在の「アクチュアリティ」を形づくっているのではないか。自己の身体感覚、空間の深さやうごめき、他者たちとの出会い、社会的な「雰囲気」、そして芸術を初めとする文化的世界における「感覚し得ないもの」のひそかな働きを探っていく。
授業の進め方
・あらかじめテクストを読んでおいてもらう
・授業での整理、質問など
・かならず最後の10分にコメントシートを提出、次回の議論につなげる
学期末レポート、ただし自主発表と簡単な報告で変えることもできる。
参考文献:
・『木村敏著作集』弘文堂。各種文庫、新書も参照(ちくま学芸文庫、中公新書など)。
・ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』(みすず書房)
・ヴァイツゼッカー『病因論ーー心身相関の医学』(講談社学術文庫)
・ヴァイツゼッカー『病いと人』(新曜社)
・『講座 生命』(河合文化教育研究所)
・市川浩『身の構造』(講談社学術文庫)
・ベルクソン『創造的進化』(ちくま学芸文庫)、『精神のエネルギー』『思考と動き』(平凡社ライブラリー)
・ユクスキュル『生物から見た世界』(岩波文庫)
・ドゥルーズ「内在ーーひとつの生」(『ドゥルーズ・コレクション I』(河出文庫)所収)
・フーコー「生命ーー経験と科学」(『フーコー・コレクション6』ちくま学芸文庫所収)
・竹内敏晴『生きることのレッスンーー内発するからだ、目覚めるいのち』(トランスビュー)
・『知の生態学的転回』全3巻(身体、技術、倫理)、東京大学出版会
・アンリ・フォシオン『かたちの生命』(ちくま学芸文庫)
・小松美彦他『生を肯定する、いのちの弁別にあらがうために』
・荒川修作・藤井博巳対談集『生命の建築』(水声社)
・デリダ『生きることを学ぶ、終に』(みすず書房)
・金満里『生きることのはじまり』(筑摩書房)
・アガンベン『ホモ・サケルーー主権権力と剥き出しの生』(以文社)
・河村次郎『自我と生命』(萌書房)
・『自然学ーきたるべき美学のために』(ナカニシヤ出版)
・クラーゲス『リズムの本質』(みすず書房)
・メルロ=ポンティ『眼と精神』(みすず書房)
・中村秀樹『いきのびるアートーー目と手が開く人間の未来』(法政大学出版局)
・村井則夫『ニーチェーー仮象の文献学』(知泉書館)
・新田義弘『世界と生命』(青土社)