廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

メルロ=ポンティの「死」についての考え方

自分の生について反省するあらゆる人にとって、自分の生を<私的な意識状態の系列>とみなす原理上の可能性があるのはたしかだ。白人文明の成人はそう考える。しかしそのように考えられるのは、このような日常的で系列的な時間を跨ぐような諸経験を忘れてしまったり、それを戯画的に再構成してしまうからだ。/「ひとはひとりで死ぬ」ということから「ひとはひとりで生きる」と結論するのはおかしい。主体性を定義するのに、死や痛みだけが参照されたら、他者たちとともに世界にいる生のほうが不可能になってしまうだろう。だから──世界の魂とか集団の魂とかカップルの魂とかを考えて、私たちがその道具のように考えるのではなく、──固有の本来性を持つ<根源的なひと>
を考えなくてはならない。それはけっして停止せず、成人のこのうえなく強い情念も支え、私たちが知覚するたびに呼び起こされる経験である。(メルロ=ポンティ、「哲学者とその影」『シーニュ』)