廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学研究6:ドゥルーズ『感覚の論理』イントロ

メルロ=ポンティのばあい
・「感性的な世界」と「文化的な世界」の関係という問題
・それを芸術を媒介に考える(絵画における奥行きや運動表現、彫刻の身体表現、映画など)

何が問題なのか
・感性的な世界はたんなる「カオス」や「刺激」ではなく、自己組織化的な論理を持っている。「感性的世界のロゴス」
これは具体的には、物の世界に一種の意識があるような考え方(アニミズム)、物が意識を触発する作用を重視する考えにつながる。
・しかしメルロ=ポンティはこのような神秘主義的な方向ではなく、身体や感覚をめぐる心理学や社会学などの実証科学の助けを借りながら、物や自然や他者に取り囲まれた有限な「身体」の「表現(expression)」に注目する。
「自己を表現することは世界を表現することである」
・そこで表現される「意味」は、感覚でも概念でもないような新しい「意味」である。たとえば身体が「奥行き=深さ」を知覚するときに、身体みずからがその深さの空間に「投錨」している。また運動を知覚するとき、身体みずからが動く、ということが基本にある。
・そのような意味を「身につける」ことをメルロ=ポンティは「身体図式」論を中心に考える。身体が自己を表現しながら、世界の意味を取り込むこと、そのことこそが芸術ではないか。
・しかし身体図式は崩壊の危機に晒されることもある(失行症などの病理学的事例の研究)

ドゥルーズ:「感覚の論理」。
・20世紀の画家フランシス・ベーコンを題材に、「器官なき身体」という考えを提唱。有機的な組織化を逃れる身体、純粋な「力」としての「かたち=人物(Figure)」。抽象画でも具象画でもない、具象的なものから「かたち=人物」をもぎとってくること。触覚的な視覚。色彩表現のリズム。写真の利用。偶然性の新たな利用の仕方。アナログとデジタル、目と手。