廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

バルト『エルテ』:「毛髪」と「文字」─「ジェンダー」も「有機無機」も超える「ライン」

エルテが作り出すのは、文字でもなく、女性でもない、両者の複合体であり、両者がたえず循環するような場である。それは身体でもあり、言語でもある。感性的でも概念的でもある。それは私達に読むことを求めるが、そこに隠されたものは何もなく、私達はそこに文字を読むだけである。こうして作り出されるのは、<記号が記号となるような場>、つまり意味が生まれる場ではないか。
 そのような場はまず身体のように純粋に有機的でも、機械のように無機的でもない。またそれは男性的でもなく、女性的でもない。彼がどちらかといえば女性をテーマとしたとしたら、男性中心主義=ファロス中心主義を掘り崩すのに、<女性的なもの>のほうがより近いからであろう。だがそれは女性の「本質」でもなく、むしろ<中性的なもの>である。それは身体的でありながら、切り取られたり変形されたりする「毛髪」という線において最もいきいきと活動するのだ。
 この場はまた、「シルエット」、そしてみずからが活動する空間をみずから作り出すような「線」の「冒険」(ミショー)の場でもある。線は、うちとそとの境界ではなく、むしろそうした区別が生まれるような場であり、たえざる「dé-former(変形的な形成)」が行われる場なのだ。