廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

ロラン・バルト「エルテ」25-32

補足
○ 「文字・精神・文字」
西欧における文字の位置付け
1)「文字(=モーセの律法)は殺し、精神(=霊)は生かす。」=文献学(聖書解釈学)。「一義的で教義的な意味を護る。」=「超自我」。=象徴主義を「否定」する象徴主義
2)自由主義
精神(霊)=象徴ではなく、意味(sens)の空間。意味することを始める権利。外観や衣服の彼方に、意味を獲得する。
3)文字の回帰
a) デリダ『グラマトロジーについて』の「文字」への回帰。
文字の「存在」(翻訳修正)が口答言語に抵抗する。
グラフィックな物質性の持つ理念性(漢字、書道)
b) 精神分析フロイトラカン):
・象徴の十字路としての文字。(バロック、カリグラフィー)(フロイトは、その解釈において意味の「圧縮」と「置換」(隠喩と換喩)について語ってこと。前の「記号」プリント)。

無数のメタファーと連想の連鎖の閉じることのない「出発点」。
そこに「世界」が、「自分自身の歴史」が見出される。⇒ ERTE、RTは一種の「自画像」
⇒ 具象でも抽象でも、写実でも審美主義でもない。「意味すると同時に意味しない」「模倣しないが象徴する」。
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○ R・T
アナグラム:線の上に線、文字の上に文字、語の上に語、シニフィアンの上にシニフィアン
文字=現代言語学では「音素対立」になってしまうが、エルテにおいては「他のものを意味する自由=自分の「分身」の声を聴くこと。「記号が無限に剥がれ落ちる」(最後の文、翻訳修正)
○ 「アルファベット」
・ 語に縛られない。
クローデル「文字は刻印的な人格」(人格の具現)、はかない肯定。
・ エルテ:文字を、自己充足した表意文字(イデオグラム)にする。
「はかないものに先立ってある」「個人的な形式の終わりなきメタファーに向かう」ので、言説や真理や理性には向かわない詩的なもの。線状なものとはならない。
・ 語の打ち間違い=語とともに悪が始まる。
・ アルファベットはアダム的(原罪以前的)状態への回帰。文字の幸福。

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バルトがここで一貫して引き出そうとしているのは、つねに意味が生まれ、増殖していくような「場」である。そしてその場は、線の網状組織としてある。だから「文字の幸福」「アダム以前の状態」は、たんなる自然回帰ではなく、こうした網状組織を「透かして」垣間見えるものなのかもしれない。そしてそれはエルテが自己自身を新たに発明することでもあるのだ。