廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

2013年度 「セザンヌの懐疑」

セザンヌの懐疑」(1)
・ なぜ「懐疑」と訳す?デカルトの「方法的懐疑」:伝統的スコラ哲学に対して、新たな「不動の基礎」を求め、少しでも疑わしいもの(感覚。。)は偽とし、疑うという思考の働きそのものが疑えない「確実なもの」であることを示す。セザンヌ印象派的な感覚から出発して、事物のリアリティ(堅固さ)を追求した。そうするとセザンヌの「主体」もデカルトとは異なるはずだが、この主体はどのような「自由」を持っているのだろうか。
セザンヌ(Paul Cézanne)(1839-1936)。エクス・アン=プロヴァンス出身。実業家の父(プチブル)。小説家ゾラと親友(ゾラ『制作』1886(岩波文庫)でセザンヌをモデルにして訣別)。1861年からパリで美術の勉強を始める。印象派(1874。印象派展)の影響(とくにピサロとモネ)。1877年には離別。
セザンヌ:季節感なし、人物の個性なし、日用品に個性。1895:初のセザンヌ展。名声を得る(ガスケの訪問。『セザンヌ』(岩波文庫)。)
作品:
・ 初期:暗い色彩と暴力的主題。
・ 1862:ピサロとの出逢い「3原色とそこから派生した色のみを使う」。ルーヴルにも通う。
・ 1870:普仏戦争エスタックに逃げる。
・ 1870- :自然に向き合う。
・ 1880-「構成的時期」。
・ 色調の相互作用による風景画
肖像画(<ヴォラールの肖像>、
・ 「感覚を実現すること」に自覚的に。
・ 1890-1906: <カード遊びの人々><サント・ヴィクトワール山><水浴図>
メルロ=ポンティセザンヌの疑惑(懐疑)」
欠如と創造(10-11)
・ 自分の懐疑の新しさは、目の乱れのせいではないか、
グレコと同様の「統合失調症」「おそろしいよ、人生てやつは(C’est effrayant, la vie)、「引っかけられないぞ」
問題:創造の新しさは、なんらかの「欠如」に由来するのか?あるいはこの欠如を「昇華(sublimation)」して乗り越えることにあるのか?(乗り越えられたものは「止揚」されてしまう)→ 欠如を欠如として肯定的にとらえたうえで、それを「世界の首尾一貫した変形」へと結びつけること。→ ある人生(生命)がある作品を生むのか、作品の中に人生を見て取るのか→どちらでもない。「作品が、セザンヌ的人生を要求する。ただし彼の人生の枠内で。→作品と人生の循環。

「自然にもとづいた絵画」:自然に基づきながら一種の幻影(vision)を見ること。白昼夢的なヴィジョン。

同時代の見方・先行説(11-12)
・ ゾラ「熟れ損なった天才」
・ 自然や色彩に対する再審査、非人間的性格→人間的世界からの逃避、疎外された人間性、「貧困化した生」(ニーチェ)。
・ しかし印象派の影響は、青色の顫動として残っている。

印象派との関係(13-14):「印象派的な美学を離れることなく、対象に回帰する」(14)印象派:固有色の解体。土色、黄土色、黒の排除、プリズムの7色。色のコントラスト、補色の効果。緑—赤の煽動→印象の全体性→物やその固有の重さが、雰囲気や色調分割に埋もれてしまう。
セザンヌ:「雰囲気の背後に物を再び見出す」。色彩の「modulation」が形態や光に従っていく。反射ではなく、「内側からひそかに照らされている」「光が対象から発出する(émaner)」→ 堅固さ(solidité)と物質性の印象。印象主義を「(ルーブル)美術館で見られるような堅固なものにする。
→ ルーブルの「記憶」と「自然」の交錯。

セザンヌの自殺」(エミール・ベルナール)?→メルロ=ポンティは、このような「矛盾」を矛盾のまま「作品」化した、と肯定的に考える。感覚そのものが、生産的な矛盾をはらんでいること。=「感覚を離れ去ることなく、直接的な印象のなかで自然以外のものによって導かれることなく、輪郭を限ることもなく、デッサンによって色彩を枠に入れることもなく、現実を追求」(15)
→「デフォルマシオン

・ p. 15以下
感覚か知性か、見る画家か考える画家か、自然かコンポジションか、プリ見ティミズムか伝統か、という二者択一を逃れ去る。
→ こうした二分法より、彼の絵画の固有の意味のほうが重要。
現象学
彼は、われわれのまなざしのもとに現れる固定した事物と、それらの捉えがたい現れ方を区別しない。形をなしつつあるマティエール、自然発生的な組織化によって生まれ出る秩序。
諸科学を自然と対決させる。

・ 「生きられた遠近法」:楕円であることなしに楕円のまわりを揺れ動いているある形態。(17)
例)<セザンヌ夫人の肖像>、<ギュスターヴ・ジョフロワの肖像>:知覚ではデフォルマシオンが自発的に重なり合う。
・遠近法的デフォルマシオンの停止
・輪郭よりも「奥行」うまれつつある輪郭。