廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

2014-07-19から1日間の記事一覧

『眼と精神』まとめ

モーリス・メルロ=ポンティ『眼と精神』(1961)(5) 1) まとめに向けて ・ 『眼と精神』の配った部分を通読し、心に残った表現、さらに深く考えてみたい問題などを見つけてくれるのが一番の願いです。とくに「見る」とはどういうことなのか、見ることを…

『眼と精神』2

四(p. 284-) ・近代絵画:錯覚説(イリュージョニズム)からの脱却の形而上学的意味。 ・絵画史:作品そのものがおのれを変貌させて続編になる。解釈しなおされながら、作品は作品自身になる。(285)奥行=深さ(profondeur/depth)は第一の次元である。 ・隠…

2013年度 メルロ=ポンティ『眼と精神』1(みすず書房)

一 身体の謎から絵画の狂気へ! 1) 身体論 ① 視覚と運動の縒糸(絡み合い) ・「見ること」と「運動」:「眼の運動の中に、<見る>という働きが起こっている」(257) ・ 「私はなし得る」(I can ↔ I think):「私はピアノを弾くことができる」=潜在能…

2013年度「セザンヌの懐疑」(3)

「セザンヌの懐疑」・ p. 21 : 「モチーフ」と「世界の一分(一瞬)(une minute de monde)」 モチーフ:セザンヌはまず、身体全体で風景全体を受け止めることから始める(世界に見られること)→ モチーフを摑む→ セザンヌはたんなる「自然に帰れ」ではなく、…

2013年度前期「セザンヌの懐疑」(2)

補足:デフォルマシオン メルロ=ポンティは「見かけの大きさ」という観念を否定する。モノは、モノの側からある大きさで近くされることを要求する。遠くのものは遠近法的知覚より大きく見える。モノの大きさの恒常性。 近づいてくる汽車の映像は実際より大き…

2013年度 「セザンヌの懐疑」

セザンヌの懐疑」(1) ・ なぜ「懐疑」と訳す?デカルトの「方法的懐疑」:伝統的スコラ哲学に対して、新たな「不動の基礎」を求め、少しでも疑わしいもの(感覚。。)は偽とし、疑うという思考の働きそのものが疑えない「確実なもの」であることを示す。…