廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

『眼と精神』2

四(p. 284-)
・近代絵画:錯覚説(イリュージョニズム)からの脱却の形而上学的意味。
・絵画史:作品そのものがおのれを変貌させて続編になる。解釈しなおされながら、作品は作品自身になる。(285)

奥行=深さ(profondeur/depth)は第一の次元である。
・隠し合うからそれぞれの位置に見る
・それぞれの物がそれぞれの場所にあるから競い合う
・諸次元の可逆性(翻訳では「換位可能性」(reversibility))の経験その者=すべてが同時にあり、高さや大きさや距離はそこからの抽象
・「物がそこにある」という経験。ヴォリューム。

色彩:
セザンヌ「ヴァリエの肖像」
水彩画
「見えるものが焦点を得、自己に到来することによって、画家の方が物の間から生まれてくる」(288)
プールの水の例(189)
「普遍的存在を概念なしで提示する」(290)

線とは(292)
発生軸のうねり(ダヴィンチ)
線を解放すること
線は「見えるようにする」(クレー)線に夢を見させる。(291)
白紙の無差別の上に引き起こされた平衡喪失(292)
cf. クレー『造形思考』

p. 293.
・振動と放射による<位置の移動なき運動>
ロダン:腕、脚、胴、頭を別の瞬間にとらえたイメージ。「身体がどんな瞬間にもとったことのない姿勢」
・ 「空間をまたぎ越す(enjamber)身体の時間的偏在性」(294)「持続をまたぎ越す」(294)
・ 画像の内的不調和が動きを見せる。
ジェリコ(1791-1824):「地面に対する身の構え」=持続に対する構え。
・ 絵画は、運動の外面ではなく、運動の秘密の暗号を求める。(294-295)

<見る>とは:私が私自身から不在となり、存在の裂開に内側から立ち会うために贈られた手段(295)
・ 同時性(ドローネ)(296)
・ クレーの引用(297)「見るということは、まるで交差点のように、存在のすべての次元がであう事なのである」