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メルロ=ポンティ(1908-1961)『眼と精神』第4節を精読する。今学期はとくに、用語などの次元でも深く読み込めるようにする。
- メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)
フランスの現象学者。心理学、精神病理学、言語学、人類学、政治哲学などとすりあわせつつ、身体と知覚から出発する独自の現象学を練り上げる。
また作家や画家などの営みと哲学を密接に重ね合わせたことでも有名。
『眼と精神』は1960年に彼が公刊した最後の論文。当時彼は『見えるものと見えないもの』という大著を準備中で、哲学をデカルト以降の根本からやり直そうとしていたが、急死により未完。謎めいたところもあるこれらの著作は、デリダ、ドゥルーズ、フーコー、リオタールらのいわゆるポストモダン哲学、ディディ=ユベルマンらの美術理論、インゴルドらの人類学、臨床哲学や看護学、認知心理学や脳科学などなどに多方面な影響を与えたが、その思想はまだくみつくされていない。
- 読解、発展のためのいくつかの補助線
芸術論・表現論として
・遠近法により3次元の「錯覚(illusion)」を与える古典芸術にたいして、セザンヌ、ジャコメッティ、ロダン、マティス、ドローネ、そしてとくにクレーがどのように新たな時空間を切り開いたか
・この試みは、新たな哲学、存在論を予告する。
・以後の現代芸術に息づくメルロ=ポンティ?
― 鑑賞者の身体を含めた場の創出(VRではなく)
― 視覚や感覚の運動性(映画以後の藝術)
― 触覚などの復権
― 野生の存在、なまの意味など(アール・ブリュット、児童画、プリミティヴィズム、アートセラピー・・・)
― 他者との、身体的・感覚的な共同性(間身体性、間主観性)
哲学として
・見えないもの、現れないものの現象学。見えないものとはたんに見えるものに隠されたもの、否定されたもの、抑圧されたものではなく、見えるものの現れそのものと「混じり合い」「それをひそかに織りなす」もの。
→ 同じように「語りえぬもの」を語る試みもある。言語に混じり合った「沈黙の糸」
・画家のような孤独な試みがどのようにpublicなものになるか。
個人的なもの、偶然的なものが普遍的なものに開かれる。
「側面的普遍」「概念なき普遍」
・他者たちとの関係。自分と共存しうるような他者たち(観客)を創り出すものとしての作品。
- その他
「なまの存在」を語りつつメルロ=ポンティが新しい歴史論を模索していたこと。
たんなる出来事の羅列でもなく、ヘーゲル的歴史でもない、<未来と過去が、現在において共鳴するような歴史>
・見るものであると同時に見えるものである身体
・物のただなかから生まれる視覚
・世界は身体と同じ生地でおられている
・身体は外部を迎え入れる
・鏡と絵画
・存在の裂開
・「問いかけ(interrogation)」という方法
参考資料(プリント)