廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

『法の力』(法政大学出版局)イントロのみ

『法の力』
デリダに対する関心は、八〇年代までは文学者によるものが多かった。ところが九〇年代になってデリダは、突如アメリカの法哲学者たちの前で、「正義」について語り始める。
背景:デリダはそれまで「差異の戯れ」「自己に対する遅れ」「決定不可能性」の哲学として受容されていた。そのため、革命に結び付くような政治的決断を「引き延ばす」ものとして批判された。『法の力』はそれまでの哲学を否定するのではないが、デリダはこうした決定=決断不可能性における「決定=決断」について語り始めるのだ。。。。
3つのアポリアの直中における「決断」
1) ある決断が正義にかなうものであるためには、「法」によって規制されながらも同時に規則なしにあるのでなければならない。法を維持しながら、同時にそれを破壊したり宙吊りにする。法の再発明。(56)
2) 決定=決断不可能なものに取り憑かれること。決断不可能なものの試練を経ることのない決断は自由な決断ではない。主体は決断できない。(60)
「決断不可能であることの記憶のなかに、ある生き生きとした痕跡が保持されていて、決断に決断としての特徴を与える」(60) 決断不可能なものを幽霊(ファントム)として受け入れる。
3) 決断の瞬間=正義の瞬間は、切迫されせき立てられる有限な瞬間。「瞬間はある種の狂気である」(キルケゴール)。「まるで自分自身の決断が、他者から自分のもとにやってくるかのように」(68-69)
待つことと同時にただちに決断する。「メシア主義なきメシア性」。

補足:
・ 正義(計算不可能なもの)と法(掟)(計算可能なもの)との絡み合い。(絶対的歓待と条件付き歓待、「交換なき贈与」と「交換の円環」の関係に対応。
・ 「配分的正義」(58)アリストテレス
・ 決断不可能なもの(規則的でないもの)=亡霊を歓待すること。
・ 「正義の理念は無限」「決断は有限」(67):両者は異質なまま絡み合う
・ メシア主義なきメシア性。(64-65)
・ せき立てられて、無知と無規則という闇の中で、規則を再創出すること。
・ 事実確認的│行為遂行的
・ たぶん(peut-être)未来に開けている。。。