廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

「実存、無意識、制度──メルロ=ポンティ正夢論の意義」

「実存、無意識、制度──メルロ=ポンティ正夢論の意義」http://rakuhoku.blog87.fc2.com/blog-entry-949.html
 本稿は、近年刊行されたモーリス・メルロ=ポンティの「受動性についての講義」(1954)の原稿の研究に基づきながら、晩年のメルロ=ポンティは、フロイトが「無時間的」で「不滅」なものとした夢や無意識の時間性の解明を目指したこと、無意識とは、消し去りがたい過去の出来事が、たえず新たな領野を切り開く前望的な実践のいわば「軸」=「開け」となっていることを明らかにするものである。
 初期の『知覚の現象学』においてメルロ=ポンティは、「性的存在」としての身体が、非人間的で雰囲気的な地平に取り巻かれていること、そこにおける自由とは、この地平を取り上げ直し、新たな意味を立ち上げる「表現=表出」行為であることを明らかにした。
 それに対して1954年の講義においては、この分析の心理学主義的な側面を払拭し、過去の出来事の不滅性が知覚や行為の変容を促すことを強調し、立ち上げられた意味がどのように象徴的な秩序を形作るかを明らかにしようとするのである。
 より具体的には、本稿では、「受動性についての講義」における、フロイトの「正夢について」という論文の読解を検討し、強い情動を与える出来事が一種の根源的な創設として残り続けること、ただし現象的な次元においては、この根源的な創設は、差異と強度に満ちた象徴的秩序の創設であることを明らかにする。排除されているのはフロイトの抑圧概念やサルトルの「自己欺瞞」の概念のもつ否定的な側面である。そのため彼は、抑圧や隠蔽と呼ばれているものが、むしろ知覚の二重化、差異を孕んだ二重化であることを追跡していく。それは否定的・欺瞞的なものであるよりは、生産的・肯定的なものとなりうるものなのである。
 このようにメルロ=ポンティは、強い情動を与える根源的な過去の出来事が、どのように相互主観的なシステムにおいて働き続けているのかを解明することを目指し、無意識が象徴的な制度における実践を支える「軸」として肯定的に働くことを示す。こうした試みは、初期の実存主義的哲学の深化であり、構造主義への妥協などではないのである。