廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化概論 夢見る身体 4月13日改訂版

先端文化学概論I:「夢見る身体」
イントロダクション:
現代の身体はさまざまな社会的意味付けに取り囲まれている。私たちは身体をつねに意識している。いや意識させられている。生誕から死まで、私たちはさまざまな「文化的制度」に取り囲まれ、そこから脱出しようとする動きさえ、管理されているように見える。。。
今回はイントロとして、そうした「文化的制度」から自由な身体の例を二つほど挙げ、今学期の授業の主旨を説明したい。

例1) アンリ・マティスの「筆」
 マティスの「意図」とは自由に「思考する筆」。無数の選択肢から、ひとつの動きを選択するとき、選択しているのは誰なのか? マティス自身もみずからの身体の「選択」に驚き、あたかも目が見えないかのように行われたとするならば。。。(cf. モーリス・メルロ=ポンティ「間接的言語と沈黙の声」

例2) コンテンポラリー・ダンサー:ウィリアム・フォーサイスの身体運動。
身体が身体自身に働きかける。そのとき、身体に隠れた「意味」が空間に生まれてくる。その意味を取り入れた新たな運動を行うことで、身体は「外」へと開かれていく。(cf. 佐々木正人『レイアウトの法則──アートとアフォーダンス』春秋社)
  
まとめ
・ 身体は「精神」の道具ではない。
・ 身体がみずからの可能性を探究すること。これは自分に閉じることではなく、むしろ「新たな意味」を生み出し、外部へと、そして他者へと開かれていくことなのだ。