廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

ドゥルーズ『感覚の論理』8, 11/レポートに向けての問い

8 力を描くこと(補足)
・人が叫ぶのは、いつも不可視の、感覚不可能な(insensible)な諸力に襲われてのことであり、そういう諸力は見せ物を攪乱し、苦痛や感覚さえも逸脱する」(84)
・ベルクは叫びの音響を、音響的でない力との関係に導いている
・インノケンティウス一〇世「見ないものとして。もはや見るべき何ものももたないものとして、もはや見えないものの諸力を見えるようにするという役割しかもたない誰かとして叫ぶ。
「影との闘争だけが現実的な闘争である」(87、改訳)

レポートに向けて:
・感覚されるもの(sensible)は「感覚し得ないもの」(insensible)をそれ自体のうちに含んでいる。感覚しえないものの具体例を考える。感覚し得ないものを活用した行為はどのようなものか。→ 見えるものであれば、その「奥深さ」「ヴォリューム感」「触覚的性格」「色彩の構成的役割」「動きのない運動」「時間性」など。
・感覚し得ないものを感覚する「誰か」は、どのような経験をしているのか。自己との闘争はどのような意義を持つか。
・これが「生への信頼(foi:信仰)宣言」のはなぜか(86)

11 絵画、描く前。。

    1)絵画以前にある「紋切り型」(cliché)、紋切り型への反発の紋切り型( - 133)
 2)写真。ベーコンは写真に逆らわない。写真には「感覚の中に構成的水準の差異」(異質なシステムのカップリング?)を持ち込めない(124)「意志を失う意志」
レポートへの問い:ベーコンにとって写真はどのような意義を持ったか、絵画の中でどのように写真のイメージは位置付けられるか → 現在における「イメージの氾濫」という問題についてどう考えるか

 3)二つの偶然性(125-)
・等価な、そして不等価な蓋然性
・蓋然性そのものとしてのFigure(127)
・手の痕跡と操作された偶然

骰子を投げるような偶然性とは異なる偶然性(128)
「その場での飛躍」(132)
レポートに向けての問い
・技術の進歩はイメージの豊かさとどのような関係にあるのか(初期の写真のイメージの豊かさについては、ミシェル・フーコー「フォトジェニックな絵画」(『ミシェル・フーコー後期集成』所収)参照(フロマンジェ論)
・「ボディイメージ」についてベーコンは何を教えてくれるか
・芸術における偶然的なものの役割は何か。あるいは身体運動において、偶然性と習慣性はどのような関係を持つか(デュシャンとの違い)
・目と手との関係、視覚と触覚(ヴォーリンガー参照)