廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

感覚の臨界で世界のさしせまりを知覚する

知覚=感覚されないもの、感覚によってしか感覚されないもの

 

先週のメモ

他我認識論をめぐって

・「窓の外の人は自動人形ではないか・・・」(デカルト的問題設定)

・超越的他者と目の前の「汝」や隣人(ユダヤキリスト教的)

・「他者の意味」はそもそもいかに私に与えられるか(フッサール的)

・他者の「痛み」は共有可能か(ウィットゲンシュタイン的?)

――

先週の問題設定

・身体をもった他者との共存における自己性と他者性

― 他者は「振る舞いのスタイル」(表情、みぶり、身のこなし)において与えられている。他者の「こころ」もそこに宿っている。

― 自己と他者は「振る舞いのスタイル」の次元において「共鳴」しあうことができる。ペアになること(フッサール)、自己に「類比」的なものとして他者が経験される。うつしうつしあうような関係。自己が他者に占領されることもある。

― しかし「他者の心」はわからないのではないか(他者の他者性)

→ 解決方向:他者との共鳴関係のなかで、なにかしら「異なもの(strange, étrange, fremd)なものが感じられる。他者のちょっとした変な身振り(セザンヌの無表情)、自分の声のむなしい反響、場が「凍り付く」、自分が「ここ」にいることの違和感。

= しかしこのようなことが起こりうるということが、逆説的にも「異他なるものと共存している」ということへの気付きをあたえる。共存のありかたの「組み替え」のための手がかりとなる。

 

 

リハビリテーション現象学(神経現象学

 

身体内感

ここに身体があるという身体の現存感(触覚的。その他、重力と姿勢の調整、光の変化、便意など)

・「右手が他人の手のように感じられる」:身体内感の欠如ゆえ、それが運動に結び付かない

Cf. メルロ=ポンティ『眼と精神』:移動なき運動。『知覚の現象学』幻影肢の例。

 

→ 内部と外部の境界が感じ取れない。境界を感じ取る訓練の必要性。

 

例)認知運動療法。紹介:宮本省三「脳機能に働きかけて、運動麻痺の回復をめざす「認知運動療法」」https://nursing-plaza.com/interview/detail/69

例)接触課題:手の高さを感じ取る、スポンジの堅さを感じ取る、触覚で図形のかたちをとらえる。

内感において「差異を作り出す」ことにより、位置を感覚し「現実感」をとりもどす。

刺激反応ではなく、外界の問いに対する応答である。

 

  • 物のキメへの感覚と力感への気付き→ 認知と運動がむすびついたイメージの形成→行為への誘導。→ 相関して「現実」が現れてくる(セザンヌがとらえようとしたもの)→ それに導かれるようにして身体がうごく。(画家は、ちらばろうとする諸感覚を、この「現実」を核に結晶化させる。

 

  • 受動と能動の交差:当事者でありつつ観察者であること。

 

 

参考文献

カルロ・ペルフェッティ『身体と精神――ロマンティック・サイエンスとしての認知神経リハビリテーション』協同医書出版社

― 『認知運動療法』協同医書出版社

宮本省三『脳の中の身体』講談社現代新書

河本英夫『認知運動療法という技法――システム存在論東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究、vol. 3(オンライン)