廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

2014-01-01から1年間の記事一覧

2013年度前期「セザンヌの懐疑」(2)

補足:デフォルマシオン メルロ=ポンティは「見かけの大きさ」という観念を否定する。モノは、モノの側からある大きさで近くされることを要求する。遠くのものは遠近法的知覚より大きく見える。モノの大きさの恒常性。 近づいてくる汽車の映像は実際より大き…

2013年度 「セザンヌの懐疑」

セザンヌの懐疑」(1) ・ なぜ「懐疑」と訳す?デカルトの「方法的懐疑」:伝統的スコラ哲学に対して、新たな「不動の基礎」を求め、少しでも疑わしいもの(感覚。。)は偽とし、疑うという思考の働きそのものが疑えない「確実なもの」であることを示す。…

『法の力』(法政大学出版局)イントロのみ

『法の力』 デリダに対する関心は、八〇年代までは文学者によるものが多かった。ところが九〇年代になってデリダは、突如アメリカの法哲学者たちの前で、「正義」について語り始める。 背景:デリダはそれまで「差異の戯れ」「自己に対する遅れ」「決定不可…

エルテ 6/23

毛髪:「新たな身体を形成し、最初の身体の基本的な形に不調和とならずにはめ込まれる補足的な(supplémentaire)な肢体(p. 19, 最終行)。」女性の身体をdé-former。女性と髪型の相互変調(p. 20, 後ろから3行目)。→ 身体から発した線が、線の意味を増殖す…

「この古きもの、芸術」6/6

真実 この断章は、p. 11の「しかし」で二つに分かれ、前半では「女性」というモチーフが彼の中心主題であり、それは「いったん見定められると、空間全体を揺る動かす」ほどである。他方後半では、この「女性」が象徴ではなく、「マーク(標識)」「刻印」「…

バルト「この古きもの、芸術」五月二六日

第8断章 ポップは「存在論的な」芸術、事物の本質の芸術。 1) ウォーホールの「繰り返し」:事物がまなざしの前で震える=みずからを求める、みずからの本質を求めるための震え=「ポーズ」(cf. 『明るい部屋』)。個人の本質の肯定。 2) リキテンスタ…

バルト「芸術、この古きもの。。。」四月二八日ぶん

第二断章(pp. 142-143):「ポップ・アートの二つの顚倒」 ・価値の顚倒 ・ (「クロヴィス・コンプレックス」。クロヴィス(466-511)はフランク族の王。キリスト教徒である妻の影響で、戦いに勝利したのちに、ランスの司教聖レミの洗礼を受け、キリスト教…

滞留

・ ハイデガーは、「死に向かう存在」について語り、それは自己に「本来的」で、固有の不可能性であるという。つまり他者の生はけっして経験できない、というのがハイデガーの立場である。⇒ デリダの操作。(1)「死の瞬間」は分割可能ではないか。(2)そ…

パレルゴン

パレルゴン(『絵画における真理』所収) paregon : ergon(作品、働き、営み、仕事)の外にあるもの。芸術作品における「付属的な要素」。 カント:装飾、絵画の額縁、彫像の衣服、建築の柱廊は美の意識を高める。しかし「黄金の額縁」がそれだけで形式化す…

代補 五月七日

デリダによる「脱構築」: ・ 自然と人工、充実と欠如、不足と過剰、正常と異常の対立そのものを掘り崩していくためにどうするか?? ・ 「自然的なものは、構造的に非自然的なもの(外部、技術、他者)を孕んでいる」。自然と人工の区別は自明ではなく、「…

代補 四月三〇日ぶんを今さら

代補(プリント「代補」「グラマトロジーについて(下)」参照。 「代補」(supplément/supply)補うこと、埋め合わせること=とって代わること。 代補の例:音声言語を補う文字が、かえって記憶力を失わせ、音声言語にとってかわり、危険なものと見なされるこ…

「線(ラインズ)」をめぐるつぶやきまとめ

・ガタリの「斜め性」は、じつは斜めの明確な線ではなく(それは水平でも垂直でもあるから)、水平でも垂直でもない「くねくねした(sinueux)」線であるのかも。また切断でも接続でもないというのは、この線がたえず自らに帰りつつ、円環にもならずに支線を…

デリダの「贈与論」まとめだけ [改訂版]

デリダの贈与論(『時間を与える』(未訳)cf. 『他者の言語』(法政大学出版局) 先行説: ・モースの贈与論。贈与の持つ神秘的な力が社会的紐帯となっていること ・ レヴィ=ストロースの読解。贈与は「円環的な交換のシステム」をかたちづくる。cf. 『親…

「歓待」についてのつぶやき

つぶやき ・ 自己が生まれる場において、自己は他者の人質となる=自己と他者たちは「同時に生起する」を実感すること。生まれようとする自己に対して、他者たちは現前しない(レヴィナス「他者の痕跡」)。 ・ 事実として歓待はつねにすでに「条件付き」で…

ロラン・バルト「エルテ」25-32

補足 ○ 「文字・精神・文字」 西欧における文字の位置付け 1)「文字(=モーセの律法)は殺し、精神(=霊)は生かす。」=文献学(聖書解釈学)。「一義的で教義的な意味を護る。」=「超自我」。=象徴主義を「否定」する象徴主義 2)自由主義 精神(霊…

デリダ「歓待について」まとめだけ

『歓待について』 問い:歓待とは、本来自己が他者を無条件に受け入れることである。だが他方では、難民や移民を受け入れるにあたっては、さまざまな「条件」が付けられている。そして移民や難民に対する「アレルギー」反応が出た時代においては、「不法移民…

バルト『エルテ』:「毛髪」と「文字」─「ジェンダー」も「有機無機」も超える「ライン」

エルテが作り出すのは、文字でもなく、女性でもない、両者の複合体であり、両者がたえず循環するような場である。それは身体でもあり、言語でもある。感性的でも概念的でもある。それは私達に読むことを求めるが、そこに隠されたものは何もなく、私達はそこ…

ロラン・バルト『エルテ──文字通りに』

エルテのフェティッシュ。 ・ 一方では「断片」としてファンタスムの対象 ・ しかし身体の総体・全体的な形でもあるのでフェティッシュの「否認」 ⇒ シルエット ・ 性的でない。裸でもその代わりでもない(シルエットは脱がせない)。(パレルゴン?) ・ 衣…

フレセミ:レポートの書き方廣瀬浩司式

レポートのコツ(廣瀬浩司バージョン) レポートの書き方については、いろいろな本が出ていますが、実は学問分野、対象領域(日本か、英米か、その他か)について大きな差異があり、各授業での資料を参考にしたり、教員の指示を待ったりしたほうがよいでしょ…

デリダ超入門『アポリア』『滞留』

先週の補足: ・ ハイデガーは、「死に向かう存在」について語り、それは自己に「本来的」で、固有の不可能性であるという。つまり他者の生はけっして経験できない、というのがハイデガーの立場である。⇒ デリダの操作。(1)「死の瞬間」は分割可能ではな…

ロラン・バルト「この古きもの、芸術」(『美術論集』所収) 講義メモ

ロラン・バルト「この古きもの、芸術」(『美術論集』所収) 講義メモ ポップアートといえば、ふつうならば(1)消費社会、大衆社会へのアイロニカルな視線(2)それを繰り返しやフラット化などによって模倣し、社会と芸術とを同時に皮肉る、という側面が…