廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

先端文化学研究V 幼児の対人関係

幼児の対人関係(『眼と精神』所収、<メルロ=ポンティ・コレクション『幼児の対人関係』所収)・1949年度よりソルボンヌ大学児童心理学・教育学教授。1949-50年度の講義。 ・全体の問題 幼児における他人知覚の問題。 「一般に幼児が他の幼児や他人と接触す…

先端文化学研究V 幻影肢2

コメントより(抜粋) ・それ自体世界内に属していない直接の経験が世界に内属し、世界を変革しうる仕方で存在しうるために、習慣的身体が存在している。しかしそれは現勢的身体でもある必要がある。二重の身体性。 ・現前と不在の中間的存在を「見えるよう…

演習 差異の体系としてのラング(4/25)

第一段落 ソシュールの教え ・記号はひとつずつでは意味しない。 ・「そのそれぞれは、意味を表現するというよりは、それ自身と他の記号の間の意味の隔たりをしるしづける」 これをすべての記号に一般化すれば、「ラングは名辞=項なき差異からなる」 より正…

先端文化学研究V:幻影肢1

幻影肢(p. 145まで) ・生理学的説明:大脳に至る神経の経路上で、ある刺激が、別の刺激にとってかわる。→ 麻酔でもなくならないし、切断手術がなくても現れる。情動にも依存。 ・心理的説明(疾病失認)。欠損を拒否している。記憶、意志、思い込み。 → し…

先端文化学演習1 イントロ 4/17

先端文化学演習I メルロ=ポンティの著作をできるだけフランス語原文に近接しながら読む。・テクスト:Maurice Merleau-Ponty, « Le langage indirect et la voix du silence », Signes, Paris, Gallimard, 1960./ 英訳:”Indirect Language and the Voices o…

先端文化学研究Vイントロ4/16

モーリス・メルロ=ポンティ紹介メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)は多くの顔を持ちながら、現代の思想に生き続けている。 主著『知覚の現象学』は今も読み継がれ、さまざまな領域(認知心理学、看護学、精神医学、教育学、社会学、人類学…

先端文化学研究Vイントロ4/16

モーリス・メルロ=ポンティ紹介メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)は多くの顔を持ちながら、現代の思想に生き続けている。 主著『知覚の現象学』は今も読み継がれ、さまざまな領域(認知心理学、看護学、精神医学、教育学、社会学、人類学…

先端文化学演習I シラバス(最新版)コピー

フランス思想をフランス語(英語)でたのしむ先端文化研究とフランス思想研究。メルロ=ポンティを中心に、さらに読み進んでいきます。原則としてフランス語原文を参照しながら、ゆっくりとゆっくりと読むことにします。フランス思想そのものに関心のある人…

ヨーロッパで人文学を学ぶ

ヨーロッパで人文学を学ぶ ――フランス、ベルギーへの留学と国際的コミュニケーション 来聴歓迎 日時:3月21日(水)13:00-16:30 場所:人文社会棟 A721 13:00:「イントロダクション」 廣瀬 浩司(現代語・現代文化専攻) 13:05-14:00 :「フランスで研究す…

先端文化学演習II:「語る言葉と語られた言葉」

メルロ=ポンティの言語論・『知覚の現象学』(1945)の「表現としての身体と言語」の章。身体表現の創造性と言語の創造性を並行したものとしてとらえる(「語る言語(parole parlante)」と「語られた言語」(parole parlée)の区別。「セザンヌの疑い」にも…

西村ユミさんと解釈的現象学

西村ユミ 「患者を理解するということ──看護師の経験、その身体性に学ぶ」1 看護の現象学とは Cf. ベナー『解釈的現象学ーー健康と病気における身体性・ケアリング・倫理』(医歯薬出版株式会社) 解釈的現象学とは。 「解釈」→ ・「説明」と対立。 ・世界に…

セザンヌの懐疑以降

「なんか間主観性の話で行き詰まっているのだけれど」 「そうではない、学説史なら言えるのかもしれないが、とつじょ退屈したのだ」 「はあ」 「自己と他者というタームで考えるのに退屈したというのがひとつ」 「ほお」 「それからそもそも『対話』という形…

『眼と精神』キーワードメモ

『眼と精神』キーワードメモ ・視覚と運動の絡み合い。驚くべき重なり合い。→ 重なり合いは「ずれ」も含むか。 ・地図の比喩 ・身体はみずからを動かす。 ・見る者であると同時に見えるものでもある。相互が相互に内属するp. 260-261 ・物のあいだにとらわれ…

西村ユミーー他のシステムへの「イニシエーション」の現象学

リズム論について ・クラーゲス『リズムの本質』 ・ドゥルーズ『千のプラトー』「リトゥルネロ」の章 ・山下尚一(超越論的リズム)『ジゼール・ブルレ研究―音楽的時間・身体・リズム』(ナカニシヤ出版) ・土方巽(プリント)◎ 問い : ナルシシシズムにつ…

ナルシシズムから始まる間主観性

指しゃぶりのようなナルシシズム(自分の身体が痛い)、遊具との戯れ → 「そこ」で「なにか」が「生起している」こと → その出来事への「引き込まれ」 → その場における「他」なるものの生起 → それと「対位法」的に生起する外部の 出来事 → 両者の境界の生…

先端文化学研究6 セザンヌの懐疑 メモ2

セザンヌの懐疑メモ、その2 ・シンボル:病的なものの「記号」ではない(意味との「差し向かい」ではない)10 ・セザンヌの「デフォルマシオン」について。生まれつつある秩序、根源において捉えられる自然(16)として・「奥行き」について。この問題につ…

先端文化学研究6:小レポートに向けて

来週の小レポートについて 目的:期末レポートの課題となるような問いを立て、それに答えるための材料集め、分析結果の見通しを立てる。土方、オートポイエーシス論、人見眞里の発達論などをひろく論じることが望ましい。評価点: ・講義の内容に即した課題…

メモ:芸術的価値の創設

前日の論文からのメモ ・マルローの個人主義が全体主義の裏返しであることと、写真という「俯瞰」の技法が連動していること。写真に「技術的オペレーション」(シモンドン)を見ることができず、線遠近法の代替物としている観念論。 ・「戦闘する有限性」と…

佐藤勇一『出来た作品と完成した作品』

http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/4832/1/L625_sato.pdf

先端文化学研究6(修正版)

コメントより ・教えるとは何か ・触覚的感覚がうまく機能していないとき、他の感覚器官を同じに機能させられるか→代償行為 ・差異を感じること=差異を認知しよう、ではなく、「呼吸をしよう、したい」というキネステーゼ ・感覚や経験はあいまい→神経現象…

授業資料(必読):セザンヌの懐疑:教科書ガイド(修正版3)

ここまでの廣瀬メモ(課題および注釈)第二版大きな問題 1)セザンヌの「病理」と「作品」の関係。作品は病理の現れ、と考えると「自由」の契機がなくなってしまう。どう考えればよいのか。 → このテクスト全体で考え、まとめることができるか。 cf. 生(人…

セザンヌの懐疑6:未来完了の書き込み

「しまった、デリダやラカンみたいなことを言ってしまった」 「そういうのはもうやめたほうがいいよ」 「はい」 「問題は単純で、主観的・個人的感覚が、他者に受容されて、間主観化して芸術が制度化する、 という問いの立て方は間違った問いだというだけの…

セザンヌの懐疑5 セザンヌの感覚は「ない」

(つづき) 「これまでのことをわたしなりに整理すると、モチーフっていうのは、たとえば林檎が林檎として現れるときに、それを取り巻いている雰囲気みたいなもので、それを「つかま」ないと林檎は林檎として現れない。この雰囲気みたいな全体性と、あるひと…

せざんぬの懐疑よん:制度化から間主観性へ

つづき「制度とか創設とかいうと、どちらかというと行動規範や意志の介入を感じてしまうのだけれど」 「じつはそのあたりも射程に入れたいからこそ、この言葉を使う。画家が筆を動かすとき、そこで 触知されている時空間、そしてそこで筆がおろされる。そこ…

セザンヌの懐疑3:視覚から制度化へ

(続き) 「デフォルマシオンはまだ視覚的な問題にすぎなくて、セザンヌが表現しようとしたのはある意味世界全体なのだ」 「世界と言われても」 「じゃあ風景全体くらいにしておこう」 「こんどは全体主義ですか」 「ちがう。セザンヌのモチーフという概念の…

観世寿夫の井筒から

身体とは「起こらなかったことがありえなかったような出来事」が到来する場である。記憶を越えた過去の出来事でありながら、それは現前野において、いわば目の前に繰り広げられていく。私たちはいわば後ずさりするようにして、この出来事に遡っていく。現在…

歓待について

「『歓待』って要するにおもてなしのことでしょ。別にデリダに聞かなくても日本は歓待の国なんじゃないだろうか」 「....」 「わざわざ歓待とか言うのは、ヨーロッパがそれだけ植民地主義だったからじゃないだろうか」 「...」 「アジアにかぎったとしても、…

セザンヌの懐疑2

(つづき) 「そうかも。いずれにせよ、あなたの言うように、受動的感覚と能動的統握の交差点に、セザンヌのイメージの技法が位置している。彼が創発の可能性を賭けるのもそこだ。そのために過去の技法と、最新の科学を投げ込んでみてもよい。だが技法と科学…

「セザンヌの懐疑」1

「セザンヌの絵画って病的って言っていいのかな?」 「いや、あれこそ自然的な知覚に近いのだ。心理学者もそう言っている」 「なるほどー、生きられた知覚ってやつか」 「そのとおり」 「あれ、自然的な知覚なのに、心理学を勉強しなきゃだめなわけ?」 「う…

先端文化学研究VI:河本英夫『損傷したシステムはいかに創発・再生するか』(新曜社)

オートポイエーシス ・「自己制作」ポイエーシス⇔テオリア(精密科学知。「観察者」の視点)。認識と制作行為、認知と行為との区別を問題視。Cf. フランシスコ・ヴァレラ『オートポイエーシス』フランシスコ・ヴァレラ、エレノア・ロッシュ『身体化された心…